☆ なんちゃら かんちゃら ☆ 1260491

▲TOP あのー, ココって,どんな掲示板なんですかぁ?
ココをつくった私 (飯山一郎) にも サパーリ 分かりません.
どんな掲示板にするか?  それは,あなたが決めてくださいな.
なんちゃら かんちゃら 好きな事を書けばE~んじゃないですかぁ  (^_^;

飯山一郎の古代史  北朝鮮の写真 ビビンバ!北朝鮮! 金王朝の深い謎  『放知技』へ


なんちゃら かんちゃら笑劇場

1:文一興 :

2015/03/19 (Thu) 01:06:48

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日本がすっかり壊れて十数年。詐欺師小泉、漫画脳麻生、卑怯者菅、おかまな野田、売国カルト安倍と続いてしまいました。権力は腐敗するのではなくて、最初から腐敗した連中が権力の座についてしまったとの感想は小生だけではないでしょう。ここで止まりそうにないところが恐ろしいではありませんか。彼等が首相となってしまったことで、実質的に憲法は書きかえられてしまったとしみじみ思います。
以下、「新憲法 序文」別名「新植民地時代を奴隷として生き延びるための宣言」です。


 日本国民は、 選挙システム「ムサシ」によって選挙された国会における代表者に服従し、われらとわれらの子孫のために、宗主国の富の収奪による貧困と諸国民との軋轢による不和と、わが国全土にわたつて原発事故のもたらす惨禍を甘受し、政府の無謬の政策に従うことを決意し、ここに主権が国民に無いことを確認し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、宗主国により選ばれし下僕のものであって、その権威は宗主国に由来し、その権力は宗主国の下僕がこれを行使し、その惨禍は国民がこれに忍従する。これはわが国永遠の原則であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。文句あるか。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅、思想、行動を排除する。
 日本国民は、戦後の平和の貴さに倦み飽きて、人間相互の不信が支配する世界を選んだのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に背いて、われらだけの安全と生存を保持し、宗主国の為に戦うことを決意した。われらは、戦争を継続し、圧制と隷従、略奪と憎悪を地上に遍く広めるべく日夜努力している宗主国の下において、栄誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民を、ひとしく恐怖と欠乏に陥れ、自らも隷属の下の自由を手に入れたことを確認する。
 われらは、いづれの国家よりも、宗主国の意向を忖度し、かの国と自国のことのみに専念して他国を無視しするのであって、属国道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を放棄し、宗主国に財も身も奉公し続ける属国の責務であると信じる。
 日本国民は、屈辱的な現実を認めず、国家の主導によるこの愚劣な現実と宗主国の犯罪的な目的に、全力をあげて盲従することをここに誓ふ。

飯山氏の、「好きな事を書けばEんじゃないですか」のお言葉に甘えて、「なんちゃら かんちゃら笑劇場」開設です。
替え歌やコント、狂歌、川柳に著作権などという野暮はいいません。転載自由です。こっちの言葉に代えた方が面白いといった改変して遊ぶのも大いに結構です。
52:文一興 :

2018/12/18 (Tue) 15:40:55

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羽毛田教授随想録
第38回「後始末」最終回



地下鉄の駅は、何事であろうか、人びとで溢れかえっていた。
この混雑ぶりは三社祭かコミックマーケットかといった有様だ。
しかし浅草でもなければビッグサイトでもない。皇居の近くのとある駅だ。
平日で金曜日の夕方だった。帰宅を急ぐ人たちだけでなく年配の夫婦や若い二人連れも目立って多い。
まさに老若男女だ。中年男のグループははたして何をしに来ているのだろうか。
改札を出た人の流れは一方向であった。途切れることなく人が続いている。
波にあらがうのは難儀であった。ぞろぞろと押し出されるように小生もそのまま地上に出てしまった。
官公庁街と国会前は群衆の渦であった。学生もいれば家族での参加者もいる。
短く限られた時間の中でのデモだった。
人の波は歩道ではおさまらず車道にも溢れていた。空には取材のヘリコプターが飛んでいる。
小生も渦に飲み込まれデモの列の中にいた。熱い熱気が渦まいていた。
しかし、小生から見える限りでは人々の動きは穏やかで冷静であった。
周縁で居たからであろうか。学生のグループはそれぞれが思いを込めた手作りのプラカードを掲げていた。
コスプレで可愛くアピールの少女もいた。遊び心を忘れてないのには感心だ。
「反対」の声がこだましだした。大きな声ではあったがヒステリックな叫びではなかった。
怒りを込めて声高に脅している声でもなかった。言うべきことがある。そのためにやって来た。
まだまだ熱りは冷めそうにはなかった。

お終い

51:文一興 :

2018/09/03 (Mon) 22:52:36

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父ちゃん、知ってるよね、志布志の爺ちゃんが亡くなったって。

ああ。ほんとうに突然だった。
不正脈がひどかったとは書いていたけれど。


もう四十九日になるね。


なんだかずっと時が止まったようだ。


新しい『大概大既』もう読めないね。


『放知技』の書き込みもね。
意表を突かれたり目から鱗が落ちたりと、本当にたくさんの刺激と愉しみをもらった。


父ちゃん、感謝だね。


ああ。それにこの笑劇場を開かせてくれたんだ。エールまで送ってくれて。


ほんと?


実は、お話しもしたことがないんだ。
けれど『放知技』の書き込みの中でさりげなくエ―ルを送ってくれていた。


父ちゃんにしかわからないの?


それはどうだろう。


でも、うれしいよね。
志布志の爺ちゃんて、どんな人だったのかなあ。


とても博識で発明家だね。歴史家、それに事業家で投資家、養蜂家。


人っていろんな面をもてるんだね。僕は何になれるかな。


そうだね、でも大切なのは職業じゃないよう気がするよ。
志布志の爺ちゃんは、公において義の人だと思う。


そんな大切な人がいってしまって

かなしくないの?

さびしくないの?

つらくないの?




「ない」だけが消えてゆくよ。



文一興




50:文一興 :

2018/05/14 (Mon) 10:02:48

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羽毛田教授随想録
第37回「後始末」(5)
 医院を後にして駅へと向かう道すがらであった。
簿毛津教授の足取りは軽かった。
小生の足元は暗かった。
「羽毛田はん、どないやった、あそこのカウンセリング」
レストランの評価を求めているような物言いだ。うきうきした口調で言えるのが羨ましい。
きっと褒めてもらいたのだろう。常連さんの行きつけのお店だ、けなせば彼の舌をおとしめる。
しかし「おいしかったなあ。星三つ」とは言い難い。
「じつはな、ここへ来ると落ち着くんよ」
耳を疑うという言葉は、今さら使えない。
小生の「落ち着く」とはかなり違っているだけのことである。
「カウンセラーは何人も知ってるけどな、笑わせて元気をくれるのはここだけや」
何人も知っているとは顔が広い。元気も有り余っていると思っていたが勘違いであった。
元気でありたいと思うのは小生も同じだ。
「笑いも治療になるんやで。羽毛田はん、も少し笑わんと」
小生も時には思い切り笑いたい。しかし何を笑っていいのやら。なんでも笑える彼が羨ましい。
最近では笑われる側に回ったようだ。
笑わせたいわけでも、笑われたいわけでもないのにほんとに困惑だ。
「それにな、あの医師はんの話を聞くと自分は大丈夫やって思えるんや。羽毛田はんはどうやった」
 カウンセリングを受けた覚えはないのだから、答えようがない。ただ大丈夫だとは思えない。
我が学部も小生も、太平洋の真ん中で沈没しかけている船のようなものだ。
それとも火山の噴石が雨霰と降り注ぐなかを悠然と歩くのに等しいかもしれない。
自分だけは助かると思うような自信は、残念ながら持ち合わせてない。
困るのは自由に科学を続けるのが困難になることだ。
「しかしな、気は持ちようや。なんとかなるのやないか」
石まで投げつけられているのに楽観的だ。見習いたいがそこまで楽天的にはなれそうにない。
老医師の四二分後の変貌ぶりを目にしたならば、はたしてそう言えるであろうか。
疲れた一日であった。
「わてらほんまに難儀な時代に突入してしもうたなあ」
簿毛津君の口調を真似てみた。
彼はこくりと頷いた。ところがやはり簿毛津教授であった。
「しかしな、それは望むところや。こんなときこそブレイクスルーやで、羽毛田はん」
研究なら頼もしい限りだが、今回お誘いは辞退させてもらいたい。
小生の耳には「ブレイクスルー」が「矢でもで鉄砲でももってこい」に聞こえてしまう。
「受けてたったるで」の買いことばもオマケで付いてくる。
しかし、強気なことを言ってもやはり頭の包帯は気になるのだろう。
これ以上巻いたらミイラになってしまう。
大学のキャンパスで「恐怖のミイラ」に遭遇するのは薄気味悪いものがある。
「早うほとぼり冷めてくれんかな」
ポロリと本音を漏らした。うんうんと小生も頷いた。
乗り換え駅に電車が滑り込んだ。
「ほなまた明日な、羽毛田はん」
彼の声を背に受けて地下鉄のホームに降り立った。


49:文一興 :

2018/05/03 (Thu) 13:33:32

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羽毛田教授随想録
第36回「後始末」(4)

 小生ここで受付嬢の話を遮った。話がそれていったからではない。
内容に文句を言うつもりもさらさらなかった。彼女の意図が十分伝わってきた。
自分を笑いにさらしてまで評判を守ろうとしている。これ以上言わせるのは酷であろう。
ある疑念も脳裏をよぎった。長年勤めていると知らず知らずのうちに勤め先に染まるものである。
受付嬢も医師のように四二分とはいわないが、もしかして……。
背筋がぞくっとしてしまった。今度は誰も助けには来てくれないであろう。
また、ウツルンデスの医師のことを考えてみた。
ご老体の中に現代社会のシビア・アクシンデントがたっぷりとため込まれているのだ。
医師は長年の過酷な仕事の犠牲者ではなかろうか。どうして苦情が言えようか。
逆に同情と尊敬と畏れを禁じえなかった。
かたく口を閉ざす決心をしたのはもちろんである。
小生もくたくたであった。
「受付嬢に見送られて静かに退散したのであった」と締め括って一日を終えるつもりであった。
アクシデントは起こるものである。玄関に簿毛津教授が現れたのである。
慌てたようすでドカドカと。
「忘れもんやがな」
すぐに気がつけばいいものを、どこまで行って踵を返したのであろう。
初めは受付嬢を見ていたが、すぐさま小生に視線を移してきた。
疲れぎみの表情がみるみる変わる。元気になって何よりだ。ツカツカと寄ってきて、
「羽毛田はん、嬉しいわ。早速実行してくれはって」
 感激の握手であった。喜んでもらってこんなにばつが悪かったことはない。
友の喜びが我が喜びとはいかないものである。
「おしりあいだったんですか」
  簿毛津教授は頭に巻いた包帯のずれを直しながら、
「同僚やがな」
 嬉しそうに答えたのだった。受付嬢はチラリと小生の方にも目をやって、
「あ、どうりで」
小声でつぶやいた。そう言った後は笑いをこらえて飲み込んだ。
そのもの言いが気になるところではあるが、聞こえないふりをした。
簿毛津教授はというと全く意に介さない。
「やっぱりわかるんや。羽毛田はんとは学生の頃からの長い付き合いで、
こうして苦労も分かちあう仲や、多少の明暗はあるけどな」
気の毒なことに彼は往来で石を投げつけられた。
彼は専門家として真っ当な解説をしただけである。
不幸にもヒステリックな連中に出くわしたのだ。
「科学に正直や不誠実があるもんかいな。そこんところをわかってもらいたいわ、ほんまに」
彼のぼやきはもっともだ。あの事故の映像を見ても安全だ、大したことはないと説く方が土台無理な話なのだ。
科学者であるから科学上の事実に対しては正直でありたい。
それなのに、安全だと言って欲しい、直ちに影響はないと信じたい、不安を煽るなと腹をたてる、
こんな連中からは総スカンであった。リクエストに応えてないのが気に入らなかったのだろう。
あちらを立てればこちらが立たずとは、世間の話である。科学とは関係がない。
科学に不都合な事実はないのだ。都合不都合は世間の話。
ただ科学者も世間に生きている。気を回さないといけない事態もやって来ることがある。
小生の場合、たった一度の出演であったが、それが十分身にしみた。
「羽毛田はんには貧乏クジ引かせてしもうて、無理に出演してもろたんや」
貧乏クジとまでは言わないが当たりでなかったことは間違いない。
学生を前に講義するのは慣れてはいてもカメラを前にでは勝手が違う。
テレビ側の指示というのも不愉快なものであった。
嘘ではないが本当ではない。本当ではないが嘘はついていない。
信じさせたい情報だけを話すのは話術がいる 。
こちらを喋れということは、あちらに触れてはいけないのだと了解しておかなければならない。
それを心得て話すのだから気骨が折れること極まりない。
科学を前提とした話ではなくなり、当たり障りのない、おまけにできの悪い科学四方山話をしてしまった。
「今どきのテレビからお呼びがかかるなんて、なんて運が悪いんでしょう」
「テレビ、もうこれっきりにするわ。これ以上酷い目にあいとうない」
と簿毛津教授。それが賢明だろう。
群集したヒステリックな連中の標的にされたのでは取り返しのつかないことになる。
石打ならまだしも火炙りなどだってやりかねない。
しかしだ、懸念がある。何度聴いたであろうか、このセリフ。懲りない性分なのだ。
「もし出るとしたら、軽い変装や、羽毛田はんのように」
彼は笑いながら言ったが、はてなんのことだか。
学究生活もそろそろ終わろうとする時期である。
適切な解説をして学恩をこうした形でも返すことができればと思ったのだ。
妻はやっとあなたの出番が来たわねと勘違いなことを口走る有様だった。
彼女がはしゃぐと一抹の不安に見舞われる。
その日は特に慌ただしく感じた朝だった。来るべき出演を緊張していたのだろう。
小生実はその日頭の被り物を忘れてしまったのだ。 気がついたときには遅すぎた。
そのぐらいのことでは小生慌てない。覚悟を決めたのだ。
なぁに、たったの一度のことだ。スガオで出たところでなんの害もないだろう。
スタジオの照明が頭にあつかった。
受付嬢の目が笑った。簿毛津教授も愉快そうに笑んだ。
「それで軽い変装」
と受付嬢がささやく。
「ということや」
と簿毛津教授。二人の呼吸があったやりとりが、ちょっとくやしい。
小生もやっと腑に落ちた。変装しないことが変装だったのだ。
あまりに巧みにヘンソウしたので今の小生とは別人に思えるのだろう。
諸事を器用にこなすのも考えものである。
スガオで出たことで、図らずもであるが、小生はヘンソウしていたのだ。
小生にまつわる事の発端は些細なことであった。ヘンソウした小生は羽毛田とは認められない。
おそらくそういうことであろう。テレビに出た羽毛田氏はどこかにいるのだろう。
そう思うことにした。
48:文一興 :

2018/03/08 (Thu) 17:43:08

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羽毛田教授随想録
第35回「後始末」(3)

小生も時流に乗ったのだろう。全くめでたくない。
「相談にみえる方も本当に変わってきました。
私がここへ勤めに入った頃は怪しげな宗教、
象の被り物を頭にのせて早く来い来いアルマゲドンと歌って踊ってましたけど、
それにすっかりのめりこんだ人達が相談にみえられました」
おそらく彼女の記憶違いだろう。
「早く来い来い」でなくて「今に来るぞ」と「来なけりゃ作ってしまえ」だったはずだ。

「親御さんたちがお子さんを連れてみえるんですけど、
余裕のあるご家庭のようで、お子さん達の学歴も高くて、でも無力でした」
あっさりと言い切ったが、そのとおりで我が官立大学にも信者が多数いた。

「不登校のお子さん達も、今もですけれど途切れることがありません。
私も学校なんて好きになれませんでしたけれど、
通うなら死んだ方がましだなんて思う子供もいたりして、
そこまで追いつめられたままで、無責任ですけど、
思い切って学校なんかやめちゃえばいいんですよ。
たかが学校じゃないですか。学校なんて行かなくても暮らせる社会があってもいいじゃないですか。
最近ですよ、全く本当にどうなってるんでしょう、
社会的にも地位のある方がこちらにみえられるようになって。
いえ、これは私の勝手な見方ですけど、日常生活をしっかりおくっている方ってここには来ないのだって、
ずっとそう思ってました。
しっかりとした習慣と規律を身につけてられる方達のはずですよね。
そんな方がたくさん相談にこられるようになって、これってどういうわけでしょう。
社会を引っ張っている方達ですよね、そんな人達がこちらに次から次へと相談にいらしてる」
何人もの個人名を出したので省くが、各界から多士済々であるようだ。
カウンセリングが社交の場になるのも遠い将来ではないようだ。

「ですからわたくし本当に心配なんです。
そのうちに普通の人たちも、いくら鈍感でもおかしいぞって思いはじめて、
周囲が異常になっているのに自分も普通でいられる訳がありませんもの、
もしかして自分も知らないうちにおかしくなっているのではと、
相談者の列に並びだすんじゃないでしょうか。
わたくしの周りから普通の人がいなくなってしまうんじゃないか。
これって切実な問題なんです。この間も山手線に乗っていて見てしまったんです。
絵に描いたような幸せそうな家族でした。
三十少しすぎたくらいの夫妻が五歳くらいの男の子を真ん中に挟んで座っているんです。
身なりがとても上品できっとお金の苦労なんかとは縁が無いでしょう。
幸せそうで一見まともなんですよ。
でもビックリ、いきなり奥さんがお化粧をなおしだしたんですよ。
信じられます!
電車の中ですよ。
人前なんですよ。
自分の家じゃないんですよ。
一流ホテルなら外に追い出されるようなことですよ。
最低じゃないですか。
そんなことを平然とおこなう女が結婚できて、その上あんな可愛い男の子を授かって。
くやしいィー。
夫も夫ですよね、化粧を人前でする妻をたしなめない男って何なでしょう。
壊れてますよ、この家族。
残念なことにちょっとわたくしのタイプで、すっかり幻滅でした。
本当世の中見る目のない男性ばかりで、ますます遅れてしまいますわ」
なる程確かに切実だ。

続く


47:文一興 :

2018/03/04 (Sun) 07:20:49

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羽毛田教授随想録
第34回「後始末」(2)

「トクギタイシツとは珍しい」
とするとあれは余興であったのか。感心していると、
「あの、特異体質です」
直されてしまった。
どんな体質があるのだろうか。医師の様子からあれこれと思い巡らしてみた。
患者の息の匂いからどこに疾患があるかたちどころにわかる。
舌で汗をペロリとひと嘗めすると何を食べたかわかる。
相談者の顔色をみると悩みがわかる。手を患部にかざすと治癒してしまう。
小生に向かって受付嬢は頭を左右に振った。何か間違っていたのだろうか。
「実は、うちの先生、相談に来られた方の性格がウツルンです」
不安そうな面持ちで言った。
ウツルンですと言われても何のことかちっともわからない。
移る、憑る、写る、感染るといろいろあるではないか。いったいどれの ことだろう。
「とても患者さんの影響を受けやすくて」
小生の表情に不安の色が出たのであろうか。彼女は手を横に振りながら、
「いえ、そういう意味でなくて、影響というより患者さんに共鳴して、
でもこれは貴重な体質なんですね、特にカウンセラーにとっては。
カウンセリングしているうちに深く患者さんを理解できて、とても効果がありますのです」
その手を口にやった。
「ですからお話をしているうちに患者さんと共鳴が起きて悩みの原因が伝わるわけです」
小生は何も言わなかった。
「どこにこんな素晴らしい素質を持った方がいますでしょう。
まさに天職、生まれながらのカウンセラーですよね」
小生何も言えなかった。本当だとしたら来たのが間違いだったかもしれない。
「黙って座ればピタリと治るんです」
「当たる」にすれば、易者の口上だ。
「でも先生は泰然としていらっしゃいます。
理由がわかっていてもことさら口にだすことはありません。
相手に共感しつつ自分の悩みのように考え、じっくりと方策を練っていきます」
簿毛津教授はそれでうまくいっているのだろうか。
「ですから時間もかかります。でも回を重ねるうちに皆さん平常の心に戻られるんです。
分かっていただけるでしょうけれど、このようなカウンセリングですから体力、
気力を激しく消耗してしまいます。
一日に三人もカウンセリングすれば疲労困憊になってしまうんです」
聞いているだけでこちらも気疲れてしまう。
「最近先生は過労気味になっていらして、一日三人までの制限を守っていましたけれど、
それでは到底皆さんに応えられません」
ご老体であったからなおさら過酷だったのだろう。
「一日の初めのカウンセリングはまず問題ございません。
前日の疲れも一晩眠って休息をとるとリセットされます。
翌日には憑き物が落ちたようにすっきりさっぱりなさるんです」
リセットと憑き物とは不調和な。
「問題なのは一日の最後だけです。特に今日は気骨が折れたようで大変でした」
なるほど、小生の前は簿毛津教授であった。
「注意が必要なのはカウンセリングの時間です。
長引いて四十二分をこえると、申し訳ございません、あのようなことになってしまうんです」
小生はそれに遭遇したわけか。しかしなぜ四十二分なのか。
「減らそうと思っても最近はカウンセリングにくる方が増える一方で、
いったいどうなってるのでしょうか」
世も人も移ろったのだろう。小生もその中の一人になったわけだ。

続く


46:文一興 :

2018/02/23 (Fri) 10:03:26

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羽毛田教授随想録
第33回「後始末」(1)

受付嬢の対応は迅速だった。
腕をとられて別室に連れて行かれた。
医師の書斎兼応接間であろうか。
壁にはダリ風のポスターがかかっていた。
小生が、もしかして不養生なのかなぁ、などと考えているうちにソファに座らされた。
テーブルには柚子茶が出された。
なんとか上手く収めようとしているのがよくわかる。
手際の良さから考えると一度や二度では無いのだろう。
あらぬ噂がたてば名声に傷が付く。
風評の被害は事前に手を打っておこうというのだった。
だからといって人の口に戸がたてられるとは限らない。
小生の口はというと、自分で言うのもなんだが、重いほうではない。
ただ、「無かったことにして、お願いします」と平身低頭で願われれば、誠意に応じるつもりではある。
受付嬢は口を開くと、こう言った。
「お変わりありませんか」
一瞬何を言われたのかわからなかった。意表を突かれてはすぐに言葉も出ないものだ。
お怪我はありませんでしたかとか大丈夫でしたかとであれば、受け応えもできる。
「お変わりありませんか」は、意図がわかりかねる。
小生の理解を超えていた。
ただ「変わり」は無い方がいいに決まっている。
間が空いたが小生「はい」と答えていた。軽はずみな返事であった。
こんな返事をしてしまったら険しい表情が保てない。
本当なら眉間にしわを寄せて「何をわけのわからないことを」とひとこと言ってもよかったのだ。
思わぬところで女性に弱いところがでてしまった。
実は小生女性と言い合いをして勝ったためしが一度も無いのである。
連戦連敗。
貴重な一勝を得る初めてのチャンスかもしれなかった。
勝てるかもしれないという声が耳元で囁かれたような気もしたが、空耳だろう。
迂闊に信じれば今回も反復練習になる。もうこりごりだ。
それでも原因追及をしようという欲求がのっそりと顔を出してくる。
これも研究者のさがであろうか。何事も無かったことにはしたくない。
少々踏ん張った。
「あの注射器は、いったい」
いいかけると、受付嬢はすぐに遮って、
「大丈夫です、あの注射はビタミン注射ですから」
笑みを浮かべて明るい声で言った。それまで無表情であったのが一転した。
喜ばせるようなことを言った覚えはない。
陽気に言われても壁の抗うつ剤のポスターを見た後では、ああそうですかとも言い難い。
小生ここでもう諦めた。
受付嬢の口から「大変な目にあわせてしまって……」とか
「不都合なことが起きてしまいまして……」
という台詞を期待してはいけないのだ。
理を説き非を責めるなど無謀なことは考えない。
頭の片隅をよぎったのはなにかの気の迷いであった。さわらぬ神に◯◯◯なしである。
こうなったらにらめっこである。
憮然とした表情を作り気迫を込めて眼差しに力を入れた。
苦味走らないように気をつけて。
尋ねたいのは唯一つ、果たしてあの変貌ぶりは一体…。
「実を言いますと……」
眼に力。
震える手で怪しげな注射まで打たれそうだったのだ。
「当院の医師は……」
眼力。
どこが絶好調だ。
「院長は特異な体質なんです」

続く

45:文一興 :

2018/01/17 (Wed) 23:55:54

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飯山先輩、お誕生日おめでとうございます。

間に合ったかな。

44:文一興 :

2018/01/11 (Thu) 22:49:11

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羽毛田教授随想録
32回「長広舌・カウンセリングもどき」(5)

「〈最近、プライドを傷つけらるようなことがあった〉のは悪くはありません。
受け取り方によります。子どもっぽい意地や面子を持った人は多くいます。
が、プライドとなると無いものねだりと言わざるを得ません。
其れを捨てたら自分ではなくなる一線をはっきりお持ちの方は珍しい。
〈もうずたずたずたである〉と感じていらっしゃるならば、しっかりとした自尊心をお持ちであることの証です。
胸を張るべきです。どうです、少しは気が軽くなりませんか」
気休めだよ。もっと悪くなりそう。

「人間関係で悩む人は人間である証拠です。
ですので〈職場内にうまくいっていない人がいる〉のは当たりマエダですよ。
悩みの種が無い人がいますか。いるわけないじゃありませんか。
悩みの種は飯の種ですよ」
一体なんだそれは。ますます訳がわからん。

「悩みの種がなければ人生も味気ないものです。
〈苦手な同僚がいて自分のペースが乱されることがある〉ということは若手ですね」
「苦手」を「若手」と間違えてしまったぞ。

「その人は結婚していますか。してなければ結婚させてしまいましょう」
なにゆえに。

「結婚しなければ、怒ったり、泣いたり、喜んだり、悲しんだり、憎んだりなどの楽しみが味わえません」
そう言われればそのような気がしないでも無いが。

「結婚生活に比べたら職場などにかけるエネルギーなど大したものではない。
ぜひ結婚生活を味わってもらいましょう。
ここに相談に来た方で独身者には結婚を勧めます。
少なくとも今の悩みは忘れてしまいます」
悩みを新しい悩みに換えてしまうわけか。すり替えではないか。

 小生、ぐったりであった。何をしにきたのかと思わないでもなかった。
ドアを叩く音が再三が聞こえていたが、医師はかまわず話を続けている。
問診票の項目を全てにわたって意見を述べるつもりなのだろうか。

 「〈衣食足りて礼節を知る〉という諺がありましたが、これは実に不愉快な戯れ言でありました」
いきなりなんだろう。問診票には無かったはずだが。

「衣食足りる時代がやって来ても、衣食足りればもっと欲しくなる。
足りれば捨ててまでして新しいのを手に入れる。
挙げ句の果ては自分のものと他人のものとの区別もつかなくなって、言いたい放題やりたい放題。
税金返しやがれ」
いきなり怒り出したぞ。

「〈背広を着てネクタイを締めるのが嫌になって来た〉のどこが悪い。
身だしなみがどうしたっていうだ。
〈以前と比べて身だしなみがだらしなくなってきたと思う〉なんて、大きなお世話だ。
ほっといてくれ」
自分のことと間違えてるのだろうか。怒り様がぼやき漫才師だ。

 ドアをたたく音が大きくなったが、医師は意に介する様子もない。受付嬢の声であろうか、
「もう四十分喋っています」
と外で叫んでいる。なにか警告を発しているようだが、いったいなんのことやら見当もつかなかった。

「〈つらいことでも、最終的には現実を受け入れるしかないと思っている〉これは大人のとる態度です。
思い通りにならないと自分の中に閉じこもったり、暴力的になったりするのは子どもです。
鳩の羽を折ったり猫の首を絞めたりとんでもないことをしでかします。
〈まな板に上の鯉かもしれない。どうとでもなれ。〉
その覚悟ごりっぱ」
もうついていけない。

「〈最近むやみに明るいと言われる〉〈アハ、アハハハ〉で、笑う門には福来る」
こんな笑いで来るものは?。

「学者たるもの石打ちの刑ぐらいで自説を変えてはいかん。軟弱者めが。
〈自分らしくない生き方をしていると感じる〉だと、誰だ、こんなくだらん項目をいれたのは」
目がつり上がっている。

「〈「自分らしい」が良くわからない。〉のは、そのとおり。わかってたまるか。
自分らしさなんて贅沢品だ。黙って働け。逆らうな。考えるな」
もう恐いよ。

「〈誰かの役に立つこともしていきたいと思う〉私はこれまで役立ってきただろうか。
おいおい今度は泣きだしてしまったぞ。

「〈誰か私の役に立ってくれないだろうか。〉」
誰か医師を止めてくれないか。

「で、一本打っとく?」
 いつのまにか注射器を手に持っていた。その上にこやかに笑っている。
じりじりとにじり寄ってくる。小生は椅子ごと後ずさってしまった。
老医師の手はブルブルと小刻みに震えていた。
打ちたくて打ちたくてたまらないのか、それとも年のせいなのか。
注射器の先から薬液がお漏らしのように漏れている。
 変に明るくて、なにか不安を隠すような声でドアの向こうから、
「先生もうお時間です。四十分おはなしになっています。あと二分しか有りません」
 事態は切迫しているようである。
しかし老医師は、首を左右にふらふらと振り脚を交互にカクカクと動かしながらリズムを取り室内を回り始めた。
「あ、ぎっちょんちょん、ぎっちょんちょん」
 医師のことばは意味不明であった。
顔はと見ると喜、怒、哀、楽の表情が移り変わっていく。
これは何かの芸であろうか。
つい観察してしまいそうになったが、悠長なことはしていられそうに無い。
逃げるがよろしい。三十六計だ。
ゆっくりと席を立った。首をふりふり脚をカクカクリズムをとったのは言うまでない。
同類を襲うことはないだろう。顔の表情は小生の及ぶところではなかった。
距離を保ちつつ出口に近づく。受付嬢と看護師たちがなだれ込んできた。
医師は羽交い締めにされてようとした。老体になんというか仕打ちか。
受付嬢は素早く注射器と問診票を奪い取った。それでも医師は叫んだ。
「今日は絶好調だぞ」
体を左右にふってあらがった。若い男の看護師は軽く飛ばされてしまった。
老人さえしっかり取り押さえられないとは不甲斐ない。
受付嬢がつかつかと近寄ってくる。小生の腕はむんずとつかまれ引きずり出された。
あれよあれよという間の出来事であった。

続く

43:文一興 :

2017/12/28 (Thu) 20:59:07

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羽毛田教授随想録
31回「長広舌・カウンセリングもどき」(4)

「不測の事態が続くご時世です。
〈こんなはずじゃなかったのにと思うことが増えた〉のも頷けるではありませんか。
おお、〈昔からそうだった〉とは謙虚な御回答ではないですか」
評価されているとはちっとも思えない。

「受け入れ難い現実に予測し難い未来。
こんなはずはない、そんなはずもない、あんなはずはあり得ない。
こうあるべきだ、そうあるべきだ、ああ在るべきだ。
こんなふうに思い込んだら何一つ受け入れられないでしょう。当然不満を持ちます。
ヒステリックにもなるでしょう。焦りや苛立ちは言動に出てしまいます」
確かについ愚痴ったり罵ったりしそうだ。

「〈確か不確かの判断に自信がない〉と御回答ありますが、良いところに気づかれました。
そもそも、正確さをマスコミの情報に求めてはいけません。
本人に聞くインタビュー記事でさえ加工されてしまうのですから、あとは推して知るべしです」
確かにそれはあった。小生にもおぼえがある。

「情報、それは宣伝です。売り物ですから加工を施します。
美しいものはより美しく。そうでないものはそれなりに」
ずいぶん昔に聞いたことあるセリフだ。

「朝昼晩の決まった時間に流される情報、あれはニュースです。無ければ作り出します。
作り手送り手の思うまま。『今日はニュースはありません』と一度くらい言ってみろ」
怒ったぞ。

「主婦が一服しているときに大量に流されるのは醜聞です。こればかり見ていると醜女になります」
なるほど。

「情報は混乱の元です。
さる会社の社長が、つい最近お辞めになりましたが、いつも仰っていました。
『社員は家族です。投資家よりも大事です。会社には社会的責任があるんです。
法を遵守し社会に貢献して初めて公器として胸を張れるんです。』」
今どきの社長にしては実直なお人柄を感じる。

「どこからどんな情報を得たのでしょう。『今までになかった時代の到来だ。
これまでの経験は通用しない。歴史は繰り返されるぞ。社員は捨て駒だ。ピンチはチャンスだ。
稼ぐぞ。同業他社の二番煎じを上手くやろう。他社の不幸は蜜の味』
どうしたのでしょうか、この変わりようは。やりたい放題やるぞの宣言を口にしてしまいました。
なんとも言えません。モウに陥っています」
すぐには意味がわからなかった。「モウ」とは牛ではないような。

「ただ、追い込まれたからといってたやすく踏み外す、道理を忘れてしまうのはいかがなものでしょうか。
私どものクリニックに通われているのももっともです」
おそらく無理が祟ったのだろう。社長業は過酷だ。
しかしそんなこと喋ってしまっていいのだろうか。

「歳のせいでしょうか、巷に溢れる情報はわたしの関心を引くようなものはなくなっております。
そのおかげかわたしは健康です。惑わされず平穏でいられるからでしょう。
テレビや新聞の情報で心乱されれば病にもなるというものです。
発病する人は活字情報を信頼しすぎるきらいがあるようです」
小生小さいときは新聞を踏んだりすると「頭が悪くなるぞ」と叱られたものだ。

「家庭用映像受像機は20世の二大発明です」
一瞬考えてしまったが、何のことはないテレビのことだ。

「お若い方にはわからないでしょうが、テレビによって話し言葉が初めて 統一されたのです。
方言で話すと東北と九州では全く言葉が通じなかったのです。
テレビ言葉を話せば全国どこでも通じるようになっていることは驚きです」
言われてみればそうだ。キャンパスで学生から方言を聞かなくなって久しい。

「しかし、なぜに朝起きたらすぐテレビのスイッチをいれてしまうのでしょうか。
未だにこのような人がいらっしゃる。
気の毒なことですが、情報の欠落恐怖症とでもいいましょうか。
無自覚につけるようならば電波汚染の可能性も考えないといけません。
放送が始まって六十余年。国民のほとんどは生まれたときからテレビにどっぷり使っています」
若い頃はたしかにテレビをつけ放していた。見ザル聞かザルにはなれなかった。

「みなさんお分りなのです。ですが、止められません。
何か音を耳にしていたい。音楽でなくて雑音でもいい。
映像を目にしていたい。人、犬や猫でもいい。
その欲求を手頃に満たしてくれるのがテレビというわけでしょうか。
毎秒情報、毎日情報、毎年情報、一生情報、情報、情報、情報。疲れますね」
小生も疲れたよ。

「情報、それは宣伝です。売り物ですから加工を施します。
美しいものはより美しく。そうでないものはそれなりに」
さっき言ったセリフだ。

「朝昼晩の決まった時間に流される情報、あれはニュースです。
無ければ作り出します。作り手送り手の思うまま。
偽報も有るでよ、わかっとるけ」
今のは一体?

「そうです。この疲れが麻痺させるのです。
考えているようで考えてない。
笑っているようで笑わされている。
腹を立てたくもないのに怒らされている。
心地よいとは言えない状況が続いています。
が、気がつかなければ『知らぬが仏』です」
まだ「仏」にはなりたくないものだ。

「これで〈何かをうっかり忘れてしまったりすることが増えた〉のもよくわかります」
話のつながりが良くわからない。

「健忘症ではありません。情報に振り回されてウになっています。
魚の代わりに情報を丸呑みです」
なんだ「鵜」のことか。

医師から赤旗と白旗を手渡された。ご自身も左右の手に持って、
「御一緒に。はい、白上げて。
赤上げて。
白下げないで赤下げて。
赤下げて白上げて。
赤上げないで白上げない。
ほら情報に振り回されているでしょう」
笑おうかな。

「赤上げないで赤上げて」
できるわけない。

「赤上げないで右上げて」
赤旗は右手に持っていた。

「ね、とまどうでしょう」
馬鹿にされている。簿毛津教授もこれやらされたのか。

「これでもうお分かりでしょう」
全然分からない。理解力の低下だろうか。

「時代が大きく変わったのはたくさんの人が知っています。
変わり損ねたり、自分が変わるのを〈うっかり忘れ〉たりしているのです」
さっきの社長のことだろうか。

「ですので、〈自分の発言も忘れやすくなっているようだ〉ぐらいは全く気にすることはありません」
なんだか気味悪くなってきた。

続く


42:文一興 :

2017/12/26 (Tue) 07:18:48

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羽毛田教授随想録
30回「長広舌・カウンセリングもどき」(3)

「しかし、この件に関して私は少々違った意見を持っております。
元々我々は「自分で何々する」という強い意志とは縁がない暮らしをしていました。
戦後に生まれ教育を受けた方々は意外に思うかもしれません。
少々昔ではありますが、一生の伴侶を選ぶ結婚をみてみましょう」
医師は音楽をかけた。BGMのつもりなのだろうか。
音量は小さめだがエレキギターが一音一音はっきりメロディを響かせ始めた。
黒人の野太い声が聞こえてきた。これはブルースだ。

「仲人と呼ばれる、いわゆる世話好きの人がいて縁談を仕切っていました」
「なこうど」もあまり聞かなくなった。自分で相手を見つける今とは大違いだ。
野太い声でスリルがどうのこうの言っていた。

「婚期をむかえた子女のいる家の相談、取り持つ役です。
彼らは家同士の釣り合いを考えて結婚相手を見つけてきました。
お似合いの二人ですよと言われて良い気持ちにさせられます」
どんな人かと想像してしまうだろう。楽しいかもしれない。

「このとき過度の期待は禁物です。親同士で合意すれば婚約成立。
異性を見る目がギラついている若者に伴侶を選ばさせるのは無謀です。
危険とさえ言えます。こういうときは任せてしまった方が楽ですね。
ただし見合い写真さえ有りません。相手の顔がわかるのは式の後。
式の最中に緊張して相手の顔を見る余裕などありません。
式の後にスリルが待っているわけです」
なるほどそれで「スリルでゴン」なのか。

「人生の門出でこうした試練にさらされるわけですから、あとは少々のことでは動じないでしょう。
いえ、私のことを申し上げているわけではありません。
このように結婚でさえ人の手の中ですから、日常生活ではもっと顕著で選択なんかありませんでした。
かつて流行った歌の歌詞にこんなのがありました。ご紹介しましょう」
いきなり歌いだしたぞ。

「『いつも出てくるおかずがコロッケ、今日もコロッケ、明日もコロッケ、
これじゃ年がら年中コロッケ』と、これのどこに選択と決定がありますか」
意味がわからない。

「おかずの選択さえありません。最近では、
『毎日毎日ぼくらはテッパンノウエノデ焼かれて嫌になっちゃうぜ』」
これは聞いたことがあるような。が、結構古いぞ。
こんなところで簿毛津教授は笑ったのだろうか。

「とまあ、このように日々の生活は習慣と惰性の連続なのであります」
まあそれには異存ございません。

「自分で選ぶなどは贅沢です。あてがい扶持で充分だ。我慢しろと言われているようであります。
その影響でしょうか。今ではレストランで自分が食べる料理も決められなくなっているようです。
シェフのお任せコース、店長のお勧め料理などが大手を振っております。
こんなものがメニューと言えましょうか。
今さら〈自分で決められないことが多くなった〉などと口にするのは片腹痛いことです。
決められないなら決められないと潔く認めるべきです」
ごめんなさいと謝ってしまいそうだ。

「我々は彼らから選択と決定の権利を取り戻さなければなりません」
そんな大袈裟な話だろうか。

「自信がないからといってボーッとしていてはいけないのです。
まず定食メニューを頼みたい気持ちをぐっと抑えるべきです。
そんなもの頼むもんかの気概が必要です」
つい言ってしまうんだな、これが。

「惰性に流されてはいけません。
ニラレバ炒めとか和食セットのDなどと定食メニューを注文してはいけないのです。
口にしてしまったら一週間断食ですね。
いつものやつねなどと言って常連を気取るなどもってのほかです。
馴染みの客こそ店主に注文をつけるべきです。
食材の鮮度や産地にも厳しく目を向けなければいけません。
このように自分の口にいれるものでこれを食べたいと意思を持てない人が多すぎるのです。
国民の九割以上はそうです」
小生まだまだ甘ちゃんであった。
しかし、どうしたらそんな断言ができるのだろうか

「こうした人達はセイにも責任を持とうとしない人たちです」
生、性、正、政などいろいろあるが、一体どれをさしているのか。

「与えられた餌を食している家畜にすぎないのです」
それはいくらなんでも言いすぎではないかと。

「今晩何食べたいと問われて、なんでもいいよ、などと答える夫は一服盛られても文句は言えません」
小生、思わずドキッとして胸に手を当ててしまった。

「世の夫連中の中には自分で決めないことを自慢話にするものもいますが、これはボケの始まりです。
若年性認知症もいまや普通に見られます。」
 ところでいつまで話を聞くのだろうか。

続く

41:文一興 :

2017/12/18 (Mon) 23:10:57

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羽毛田教授随想録
29回「長広舌。カウンセリングもどき」

「さて、問診票を拝見いたしましょう。お、〈意気沮喪〉ですか、なるほど。
からだのどこからともなく力が漏れ続ける感じが伝わってきます。味わいのある言葉です。
いつからかは〈忘却〉してしまいましたか。
気がついたらこうでした、というのは良くあることですね。
気にするのは止しましょう」
あっさりと片付いた。これでいいんだ。

「〈最近体の疲れを感じることが多くなった〉とのことですが、
健康で体力のある高校生ではないので諦めましょう。
彼らが疲れを感じれば異状がある可能性がありますが、〈寄る年なみ〉では無理もありません。
私なぞは階段を見ただけで息切れします」
小生ももうすぐか。

「〈意味もなくイライラすることがある〉のも更年期にはよくあることです」
男にもあるのか、不勉強だった。まだまだ知るべきことはあるものだ。

「〈見るもの聞くものにイライラする〉のは見たり聞いたりするからです。
見なければいいし、聞かなければいいわけです。
朝からテレビをつけたり新聞を見たりするのはイライラの元です」
そんなことできるだろうか。

「大丈夫です。満員電車に乗っていると思えばいいんです」
何のことだろうか。

「乗客はモノ扱いです。一袋千円で詰め放題の信玄餅です」
黒蜜かけて食べるアレか。

「乗客も物扱いには慣れっこです。降りるときに物のように人を押しわけて降ります。
人としてみるなら一声かけるでしょう」
たしかに。

「一人自分だけが人だと思っても、周囲はそう扱ってくれません。イライラは人の感情です。
時には人間モードをオフにして物モードに切り替えてやり過ごします。
そうやってイライラの元を断っておくのを勧めます」
なんだか辛い話に思えるが。
それでテレビや新聞の場合はどうすればいいのだろうか。

「油断すると好き嫌い関係なく情報が入ってきますから、サルになるといいですね。
見ザル聞かザルです。
ニュースを見るのは、断言しますが、精神衛生に良くありません。
ニュースは事件、事故、醜聞ばかりです。つまり誰かの不幸を楽しんでいるわけです。
年がら年中見ていると、心のひだもすり減ってしまいます」
サルになるのか。

「〈食べること自体が億劫だ〉とは、なんと気の毒な。
無理をしてでも食べた方がいいとは思いますが、食が進まないのもわかります。
何を食べても気になって美味しくいただけない昨今です。
国民がたらふく食べてもあり余る食糧。街に出れば世界各国の料理を食べ放題。
日本の歴史が始まって以来のことでしょう。それなのに」
やはりそうなのか。
 医師は水差しからグラスに水をいれ一気に飲み干した。腕まくりをすると話を続けた。

「最近、〈物事を決めるときに、自分で決められないことが多くなった〉にハイと回答する方がとみに多くなっております。
〈誰かに後押しをしてもらいたい〉と思ってらっしゃるのはおひとりだけではありません。
悩める人が一人いれば、原因の差はあるとはいえ他に何十万何百万という人達が控えています。
自信を失っていく人々が日に日に増えていると判断されるでしょう。
いずれ日本人はみんな自信をなくすでしょう」
大袈裟な表現がお好みなのであろうか。
ともあれ恵まれないのは小生だけではないのだ。
それにしてもなんとも不吉な予言ではないか。

続く

40:文一興 :

2017/12/13 (Wed) 08:16:06

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羽毛田教授随想録
28回「長広舌・カウンセリングもどき」(1)

 診察室に通されると、カウンセラーは問診票を片手に待っていた。
笑みを浮かべていたのはこちらの緊張感を和らげるためであろうか。
 小生よりも年配の精神科医であった。
雑誌の写真で見たよりもやや老けているが、別人でないことは明確だ。
若くても優秀な医師はいるだろうが、やはり相談事は年配の方にかぎる。
知恵と経験をたくわえているはずである。表情は温和であった。
深く刻まれた皺に味わいがあった。ただ頭髪は跳ね上がったままであった。
白衣もボタンがかけ違えたままである。身だしなみにはあまり頓着しないのであろう。
優秀な学者にありがちなことだ。ちっともその人の評価を下げることにはならない。
むしろこのお年で現役とは立派である。
衰えない知識欲。
多いに見習うべきだと小生感激した。

 医師は問診票を手にして話を始めた。
「初めてでしょうか 、こういったカウンセリングを受けられるのは」
小生、軽く頷いてこたえた。医師は問診票を見ながら話を続けた。

「大変丁寧に回答していただいたわけですが、これほど手間をかけて答えて頂いた問診票は、
随分久しぶりのことで……なるほど」
小生、目の前で「なるほど」を使われると気になってしまう。

「初めにひと言お断りしておかなければならないのは、カウンセリングは心を癒すものではないということです」
簿毛津教授は癒されて笑っていたのではないということか。

「この問診票で何が原因となっているかすぐにわかるものではありません。
心の領域は広大です。どこにどんな心の結ぼれがあるのか、窺い知るのは容易ではありません。
砂漠で棘を一本探し出すのとかわりないかもしれないのです」
気が遠くなりそうだぞ。

「確かに困難な作業になるかもしれません。ただ月の砂漠を一人で歩かせるわけではありません。
カウンセラーは砂漠の水先案内あるいは人を背に載せるラクダです。
心に刺さった棘はこれですよと探しだし、取り除こうではありませんか」
頼もしい言葉だ。簿毛津教授が選んだ理由の一端だろう。

「今日はお一人で来られたわけですね。付き添いも無く。ご家族に相談すれば心配をかける。
家族に対する気遣いですね。愛情がおありだ。それ以上に責任を感じていらっしゃる。
話せば楽になるのに、話さずに頑張った。大変な忍耐力です。無責任でいこう! 」
 医師は突然問診票を持った手を振りかざして叫んだ。

「いやいや、これは失礼。しかし、責任を感じすぎるのも良くないのです。
少しは気を楽に持つことも大切なことです。押しつぶされてはいけません。
悩みの囚われ人になってはいけないのです。その問題、あなたに責任はない」
小生この言葉を聞きたかった。肩の荷がスーッと軽くなる。

「あなたの悩みはあなただけの悩みではない。責任は分かち合って薄めあいましょう。
その悩みごと買い取ります。わたくしにお電話ください」
 医師は笑いながら高らかに宣言した。おそらく冗談だろう。
ご年配であるから多少ズレルこともあるはずだ。
簿毛津教授はこんなところを笑ったのかもしれない。


続く

39:文一興 :

2017/12/08 (Fri) 17:31:06

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羽毛田教授随想録
27回「ただ今受付中」

 相談室から聞こえてくるのは簿毛津教授の笑い声ばかりである。
何がうれしいのだろう。何を笑うのだろうか。彼には「当然」周囲には「不可解」。
そんなことはよくある事で驚かないが、今はカウンセリングの最中である。
漏れてくる笑い声を聞いていて、もしかしたらとピンと来た。
閃きは常に考えているものに訪れる。
小生はいつも考えている。だが傍目からはボーッとしているとしか見えないらしい。
ボーッとするのと考えることを両立させているのは小生ぐらいなものだろう。
わからないのも無理はない。日向でまどろんでいる猫ではないのだ。
些細であっても探究心をなくしたことはない。
ただ、今回はあまりに久し振りの閃きなので自分のものだとは思えなかったくらいだ。
 簿毛津教授が平凡な病にかかるのを許すわけがない。
これまでにない新種、もしくは奇病こそ彼に相応しい。笑いに関する病で奇病はないか。
面白く楽しいときにだけ笑うものではない。何を聞いても何を見ても、笑いを見出してしまう。
窮地に陥ったときも苦しいときも豪快に笑う。彼はタフで不敵なのだ。
小生いたくこの考えが気に入った。現象の解明に力を傾けるとと元気になる。
やはり学者気質のせいであろうか。カウンセリングの必要性が次第に遠ざかる。
小生、元々立ち直りが早いのである。
余裕もでてきてあれこれと病名までも考えた。

・突発型間歇性笑い症。間を置いて思い出したように笑いだす。
・遁走型強迫性笑い病。理由もわからず何かに怯えつつ笑いながら逃げ続ける。
・慢性笑い過多症候群。しまりの無い表情で顎の外れた底抜けのアホ笑い。
・前後不覚型パニック性笑い病。何を笑ったかなにも分かってない狂い笑い。

スラスラと思いついたが、しっくりこない。簿毛津教授にもう一歩届いてない。
彼にぴったりな名はないか。本腰を入れるべくしばし目をつむって沈思黙考した。
熱心過ぎてソファにすっかりのみこまれてしまった。
すわり心地が良くって、ことりと眠りに落ちてしまっていたのだ。
最近は考えごとを始めるとすぐに眠り込んでしまう。
顔からグラフ雑誌を取られ肩を揺すられた。
「どうぞ、相談室に着きましたよ」
終点まで乗り越してしまった酔客のごとき扱いだ。
おそらく呼ばれたのだろうがぐっすりだった。
簿毛津教授は既に帰ってしまっていた。
気分はスッキリ晴れやかであった。にっこり笑いも漏れてくる。
ここでもう治りましたと言って辞退するのも悪くない。
残ったのは小生の好奇心だ。今だに好奇心を身動きさせないでおくのは難しい。
いったい簿毛津教授はどんなカウンセリングを受けたのだろうか。
平穏な日常生活は嫌いではないが物足りなさを感じなくもない。
歳をとるとどうも刺激が少なくなる。というよりちょとやそっとのことでは刺激にならない。
簿毛津教授と同じカウンセラーに診てもらうのも悪くない。
あれだけの笑いをもたらした理由にひかれてしまう。
「若い頃はね」などと懐古の話ばかりではもの寂しい。
今こそ新しい話の種を仕入れる機会であると思った。

続く

38:文一興 :

2017/11/30 (Thu) 22:21:59

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羽毛田教授随想録
第26回「ただ今受付中」

簿毛津教授はすでに通院していたのだ。
受付嬢との気さくなやり取りはなんであろうか。
最近ここに通い始めたのでもなさそうだ。
しかし、いつものように元気いっぱいで、カウンセリングを必要とするものの交わす会話とも思えない。
研究以外の悩みとはあまり縁がないと思っていた。だが想像に難くない。
彼の平穏をかき乱すものは我々工学部全体にかかわることだ。
ここ数年にわたる工学部の失墜は予想以上であった。看板の書き換えなどでは子供騙しであった。
矢面に立った簿毛津教授の長年の心労は想像にあまりある。
「それでも専門家か、責任とれ」の批難にさらされ続けてきたのだ。
マスコミによる生け贄のごとき扱いにも耐えねばならなかった。
実際彼は耐えに耐えていたのだろう。
いつもどこでも大声で堂々とした態度を崩さない。おどけるのは愛嬌である。
うたれても平然と構え余裕さえ見せる。なかなかできることではない。さすが簿毛津教授である。
小生をはじめとして工学部の諸氏はこのように受け止めていたと思う。
だが、こうして通院していることがわかると間違っていたのだ。
にこやかな表情の下に苦渋を隠していたのかもしれない。
同僚の異変に気づかないとは、不明を恥じるばかりだ。
 簿毛津教授、彼は身体の健康維持にはに気をつけていた。
夜更かしはしない。朝は早起きである。ラジオ体操を第2まで知っている。
三つ子の魂なんとやらで、小学校時代の習慣を続けているのだ。
会員制のフィットネス倶楽部などには見向きもしない。
安上がりというより庶民的なのだ。
菜園を借りて自家製の野菜づくりも行なっている。
農薬まみれやら遺伝子操作の野菜などは口にしない。健康への注意は人一倍である。
大声で喋りさえしなければスーツ姿がよく似合う恰幅の良い初老の紳士だ。
身だしなみにも気を配っている。テレビや写真での映りには特に気をくばっている。
学内で見る彼とは別人かと思えるほどだ。
もちろん人であるから及ばないところもある。
欠点というべきほどのことではないが、気どらない男で人気がある。
面倒見も良くて弟子も多い。優れた業績もあげてきた。
特許もいくつか取っている。
取ってない他の同僚とこういうところで歩調を合わせられないのがやや難点だ。
大学運営陣の覚えもめでたく准教授、教授になったのも役職についたのも早かった。
そして学部長である。小生よりも一歩も二歩も先を行っている。
悔しくないといえば嘘になる。やはり今回も先を越されてしまった。
「先を越されたか」
 小生おもわず声を漏らしてしまった。
「どうかなさいましたか」
受付嬢があわててやってきた。迂闊だった。
声をだして言ったつもりはなかったのに、聞かれてしまうとは。
いささか不謹慎であったが頬に笑みが浮かんでしまっていた。
思い出したのは簿毛津教授の言った台詞であった。
「あのな、みんなにカウンセリングを受けてもらおうと考えとるんやけど、‥‥」
「〈工学部、只今心のメインテナンス中〉いうてアピールするんや。どやろ」
 工学部を再度盛り上げるための提案と思っていた。読みが甘かった。
自分の体験を踏まえてのことだったのだ。
簿毛津教授には申し訳ないがじわりじわり平穏が帰ってきた。
彼でさえ不調に襲われるのだ。彼に比べたら気楽な立場にいる小生などは。
ドアから彼の笑い声が漏れ聞こえてくる。簿毛津教授の身にいったいなにが起きているのか。

続く

37:文一興 :

2017/11/22 (Wed) 10:03:25

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羽毛田教授随想録
25回「ただ今受付中」

 問診票に手間取ってグッタリと疲れがでてしまった。
あとは自分の番を待つだけだが、予定時刻も過ぎてしまっている。
診察が長引くことは往々にしてあることだろう。
焦ったところで早くなるわけでもない。
ソファに腰を下ろすと待合室を眺める余裕も生まれてきた。
天井は不安になる程高くなく、圧迫を受ける程低くない。
壁の色も暖色系統で優しい間接照明。
カウンセラーの待合室はどうあるべきは知らないが、くつろげる空間だった。
鉢植えの観葉植物もいく種類か据えられて緑が目に優しい。
受付けとの間には大きなアクアリウムがしつらえられていた。
水と光と水草の世界に引きよせられる。気疲れを癒してくれるのだ。
水流になびく水草。流木の下に休むメダカ。息をひそめる透明な小エビ。
眺めていると自分も魚になった気分になってしまう。
木の下に隠れたり水草の間を追いかけっこしたり。
小さな世界に入り込んでしまいすっかりくつろいでいた。
しかし、長くは遊ばせてくれなかった。
ドアが開く音が聞こえると、慌ただしい雰囲気になった。
「えろう遅うなってすんません。予約時間こんなに過ぎてしもうて」
静寂をうち破ったのは処を構わない大声であった。それも関西弁。
「ええお待ちしてました」
 受付嬢のアクセントが相手につられて関西弁風になってしまった。
アクアリウムが屏風がわりではっきりと姿は見えなかった。
しかし声には聞き覚えがある。
近所迷惑とさえ言える大声で、関西弁の話し手はただ一人だ。
我が同僚、簿毛津教授だ。
小生、つい考えてしまうのだ。
「今にも遭遇」の事態をどう解釈したらいいのか。
悪所で友人と顔を合わせた場合とどう違うのか。
などと悠長な事を思っている場合ではない。場所が場所である。
普通は声をかけるのもはばかるだろう。
しかし彼は簿毛津教授である。場所柄をわきまえるという言葉は彼の辞書には無い。
諌めたところですぐに忘れる。自分ににあわないことは受け付けない。
彼は自分に素直なのだ。
にこにこ笑いながら、
「こんなところで奇遇や羽毛田はん、同病相哀れむとはこのことでんな」
とでも声をかけてくるのは間違いない。
 小生、見つかりにくいようにズルズルとソファに崩れて浅く腰掛けた。
傍らのマガジンラックからグラフ雑誌を抜き取り読むふりをした。
身を隠しじっと息を潜めて耳をそばだてた。
「どなんしやはりましたん、その包帯」
 と受付嬢。顔に絆創膏ならわかるが包帯とはどういうことだろう。
「あ、これな。せっかくの男前がだいなしやが」
「お怪我ですか」
 受付嬢も厚かましいこと言わはって、とは言えないようである。
「今日はほんに厄日やで。えらい目におうてしもうた」
 小生我慢ができない性分だ。じりじりソファを横にずれた。
チラリと受付の方を見る。後ろ姿だ。頭ターバンのごとく包帯で巻いていた。
「これな、石ぶつけられてしまいましてん」
「まあ、おっそろし」
「ほんまに物騒な世の中になったもんや」
「誰にぶつけられはったんですか」
「それがな」
「奥さんですか」
 いたく感心したが、吹き出すのに我慢が要った。
「冗談いうて、通行人やがな。石打ちの刑や言うていきなりや」
「有名になりはると大変ですね」
 確かに彼はマスコミでの露出が多い。それだけに発言が耳目を引く。
歯に衣着せぬ発言が売りの部分がある。
不適当な発言をポロッと漏らし物議をかもすこともあるのだ。
「有名税にしては痛いで、ほんま。今日は病院のはしごで踏んだり蹴ったりや」
 石打ちとは穏やかならぬ話であった。
それなのに笑いながら軽口をたたいて診察室に入って行った。
これだけの神経の持ち主がなぜにカウンセラーにかかっているのか。
不思議だ。

続く


36:文一興 :

2017/11/10 (Fri) 17:47:11

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羽毛田教授随想録
24回「ただ今受付中」


明るい問診票

01.今日はどのような症状で受診に来られましたか。
〈意気沮喪〉
症状と言われても上手く言い表せない。意気消沈だと一時的で、元気が直ぐに戻りそう。
沮喪だとダーっと力が抜け続けていく感じ。


02.その症状はいつ頃から始まりましたか。
〈忘却中〉
わかっていたら悩みはしない。


03.最近身体の疲れを感じることが多くなった。
〈よる年波には勝てそうにありません。〉
若いとは言えないので仕方ない。


04.意味もなくイライラすることがある。
〈見るもの聞くものにイライラする。〉
泰然自若としていると一度は言われてみたい。


05.あまり食欲がない。
〈食べること自体が億劫だ。〉
牛飲馬食の頃が懐かしい。ただ、発作的に手当たり次第口に入れてしまうときがある。


06.首や肩がよく凝るようになった。
〈不意のことだが両肩にずしりと重みがかかることがある。〉
ずっと肩こりと無縁だったのに。


07.あることが気になっていつも頭から離れない。
〈頭の一部が何かに囚われているような気がする〉
壊れてると思わないが気になるところだ。


08.物事を決めるときに、自分で決められないことが多くなった。
〈いっそのこと何もかも誰かに後押しして貰いたい。〉


09.こんなはずじゃなかったのにと思うことが増えた。
〈昔からそうだ。〉
いつの頃からか計画が立てられなくなった。


10.不確かな情報に惑わされてしまうことが増えた。
〈確か不確かの判断に自信がない。〉
最近はテレビ、新聞を見たり読んだりできなくなった。


11.何かをうっかり忘れてしまったりすることが増えた。
〈自分の発言も忘れやすくなっているようだ。〉


12.最近、プライドを傷つけらるようなことがあった。
〈もうズタズタである。〉
大学に通えなくなってしまいそうだ。


13.以前と比べて身だしなみがだらしなくなってきたと思う。
〈背広を着てネクタイを締めるのが嫌になって来た。〉


14.特定の場所で不安になってしまう。
〈落ち着けるのはトイレぐらいだ。〉


15.職場内にうまくいっていない人がいる。
〈苦手な同僚がいて自分のペースが乱されることがある。〉


16.以前より些細なことが気になるようになった。
〈気がつくとブツブツつぶやいていたりすることがある。〉


17.最近むやみに明るいと言われる。
〈アハ、アハハハハ。〉
腹の皮がよじれるほど笑ったのはいつの日だったか。


18.手の平に汗をかいたり冷や汗が出る。
〈大学の校門を見ると冷や汗が吹き出て来るときがある。〉


19.現実感がなく自分が自分でないような感覚になる。
〈最近膝がガクガクして、脚が地についた感覚が薄い。〉


20.自分らしくない生き方をしていると感じる。
〈「自分らしい」が良くわからない。〉


21.つらいことでも、最終的には現実を受け入れるしかないと思っている。
〈まな板に上の鯉かもしれない。どうとでもなれ。〉


22アイデアを考えようとしても、あまり浮かんでこなくなった。
〈アイデアという文字を見ただけで胸が塞がれる。〉


23.最近、他人に対して怒りを強く感じる出来事があった。
〈抑えられないのが怖いと思う。〉


24.誰かの役に立つこともしていきたいと思う。
〈誰か私の役に立ってくれないだろうか。〉


25.自分に自信が持てない。
〈大丈夫だと大きな声で叫びたい。〉
叫んでなんとかなるものならば。


ここまで答えるのに小一時間もかかってしまった。
この調子だと診察室までたどり着けるかどうか覚束ない。
焦ってストレスが溜まってくるではないか。
小生の難渋を見かねたのであろうか、受付嬢がやって来た。
「何かご不明の点が。お手伝いいたしますが」
これしきのことで手をわずらわせたくはない。しかし額にじっとり脂汗が出ていた。
小生の書きこんだ問診票をのぞきこんだ。表情が微妙に変わった。
「こちらの票は、ハイのときだけ印を付けていただければ……」
言いにくそうにそう言った。彼女の眼差しは気の毒そうであった。
この問診票、項目ごとに余白がたっぷりだった。
それを見て記述式かと思い込んでしまったのだ。
学生の試験などに長く関わっているためだろう。
こんな時にしでかす間違いが職業柄というのも因業である。
しかし、○×式の問診はその役目を果たしているのか。安易ではないか。
診察の前とはいえ、これでは心許ない。こんな事を考えると段々と腹が立ってきた。
ハイ、イイエで心の有り様がわかるはずもない。
小生、学生の学力を見るのに◯×式などのテストは作ったことがない。
採点に時間がかかってもレポートや記述式である。口頭試問で人となりを知ることもある。
とはいえ、そこまで気合いを入れる必要ないじゃない。
ちょっと気楽に行こうよという誘惑も十分わかるのである。
簡便なやり方で良い結果が得られるのなら、いいじゃない。
いたずらに時間をかけて、おまけに忍耐を強いられるのは好まれない。
大きな声では言えないが、実は小生、これが好きにはなれないのだ。
本当は辛抱というやつが大嫌い。時間も忍耐もおよびじゃない。
問診票の残り、ちらっと眺めて豪快に大きく丸をつけた。

続く


35:文一興 :

2017/10/31 (Tue) 21:46:30

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羽毛田教授随想録
第23回「ただいま受付中」


問診票に回答しながら、 こう考えた。
こたえなければ診てもらえない。
診てもらわなければ病がわからない。
しかし、病が分かれば病人だ。
病人になるのは真っ平だ。いっそ止めようか。
止めればこの決心が無駄になる。
他人の無駄は見過ごせる。
が、自分の場合は心がいたむ。
一息つこう。
問診票から顔を上げた。
安定感のある受付嬢が目に入る。
キッとした視線が刺さってきた。
病名が決まるまで帰れそうにない。
途中で逃げられそうにないのでまた下を向く。
先ほどからずっとこの繰り返し。
問診票に取り掛かって既に三十分。
さてどうしたものか。
なかなか進まない。

予約を入れた医院で、まずすべきことは問診票に必要事項を記入することだった。
「これにご記入下さいますか」
とふくよかな手から渡された問診票は厚かった。
何人分かとパラパラとめくってみた。一人分だ。
これほど項目が多いとは思わなかった。
おそらく小生の表情から察したのだろう。
受付嬢は申し訳なさそうに、
「耳鼻咽喉科でしたらよかったんですけど」
とぽつりと言った。
謎かけだろうか。答えはわからなかった。
「ここが具合が悪いって指して言えませんから」
なるほど、最もだ。
「今日はどこがお悪いですか」
と尋ねられて、
「ちょっとこのあたりが」
と指さしては言いにくい。納得である。
やはり名の通ったカウンセラーだ、仕事が丁寧だ。そう思うことにした。
 一枚目は一般問診票であった。
まず氏名住所と電話番号。郵便番号が無かったのは幸いだ。
小生これが苦手である。ここでつまづくと先が思いやられる。
やはり自宅の電話番号がすぐに思い出せなかった。
胸の内ポケットから手帳を取り出して住所録で確かめた。
手帳のある場所を忘れないでよかった。
ついでに生年月日も調べて記入した。
 めくって二枚目を見ると、
「ストレスのチェック」「うつ病評価」
の文字が飛び込んできた。
憎っくきストレス。ついに来たかという感じである。
しかし、ちょっと待て。ストレスの後にチェックなる文字がくっついている。
「ストレスチェック」
これは馴染みの言葉だ。ここで遭うのも何かの因縁であろうか。
紙面、画面を賑わしたのは、つい最近のことだ。
言わずと知れた例の重大事象、シビアアクシデントである。
底が抜けたのは発電のための巨大なお釜。
厚さが二十センチもあろうかという鋼鉄製だ。
ここで作りだされるのはセイシはセイシでも中性子。
これが暴れると鋼鉄さえも脆くなる。
いくら頑丈でも四十年も使えばいつ何時不具合が出てもおかしくはない。
お釜だってストレスで傷むのだ。
そこでストレスチェックの出番だ。
全国のお釜がチェックを受ける手はずが調ったようだった。
ただ業界のお手盛りのチェックだ。
「使用禁止です」が、
「安全性の確保を最優先にしてください」になり、
「安全性に大いに疑問があります」が、
「安全性の確保に引き続き努めてください」に変わり、
「安全性の確保が不十分かもしれません」は、
「細かいことごちゃごちゃ言うと余計ストレスがたまるで」
に変更になっていても不思議ではないかも。

小生の安全性はどうであろうか。
心身ともにストレスに晒されて数十年。
こいつは、どこでもいつでもついて来る。
バス、電車、職場でストレス。
頑固になって自分にストレス。
流行り廃りなんぞ知ったことか、と居直れなくてストレス。
耄碌・痴呆になって周囲がストレス。
果たしてこのストレスチェックで状況好転のきっかけとなるのであろうか。
自分のことを知るのは本当に難しい。

続く

34:文一興 :

2017/10/07 (Sat) 16:37:02

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『羽毛田教授随想録』
第22回 「いざ、カウンセリング」

かかりつけの医者がいるのは心強い。親の代から診てもらっている医院だ。
若先生、大先生がいて頼り甲斐がある。小生が育った頃はこうであった。
わが家みんながお世話になっております、の世界だった。世は移ろうものである。
「カウンセリング、家族みんながお世話になっております」の世界に入ってしまった。
良いも悪いもあったもんではない。われわれの時代の大きな潮流なのだ。
「うちのパパね、歯医者さんに通ってるんだ。」
「うちのパパね、カウンセリングに通ってるんだ。」
気の毒がったり反応に戸惑ったりしたのは昔のこと。今ではごく普通に受け止めている。
それどころか、
「え、あなたカウンセリングに行ったことないの」
などと言われて時代遅れを笑われる始末だ。
果たしてカウンセリングで安らぎが得られるであろうか。
少々疑念が残るところだ。会社への愚痴は居酒屋で同僚と、残りの不満は家庭でと。
スカッと発散すればやる気も戻る。愚痴を聞いて慰めてくれるのが家人だろう。
安らぎは伴侶の協力があって初めて得られるものだ。
家庭とはそう在った方がいいと思うのだが、まあそれぞれである。
からだのことをあれこれと気遣ってくれるのは家人である。
何か身にまつわることもまずは家人に相談すべきであるが、小生はためらいがあった。
心労をかけたくないのである。それに当家の伴侶はその協力がユニークである。
「何言ってるのよ、いい歳とって」
と一笑に付してしまう方法である。
小生は、これで元気一杯になって頑張ってきたのであった。
特異体質なのであろうか。他家にはお勧めできないかもしれない。
だが、これも若ければこそであった。
寄る年波にはもう勝てない。
体力が衰え気力もすぼむ。
覇気がなくなり印象も薄くなる。
薄いのはこれだけではないが、ちょっとさみしい。
不平や不満が長年たまりにたまればどうなるか。
小生も人の子であるからいつまで耐えられるかわからない。
些細なことでカッとなり、あらぬ言葉を口走ってしまう。
包丁でグサっと刺されて、妻を犯罪者にするのは忍びない。
いざ行かん、カウンセリング!

続く

33:文 一興 :

2017/09/25 (Mon) 18:02:30

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第21回「いざ、カウンセリング」

今やカウンセラーは現代に必須の職業になってしまった。
小学校にまで臨床心理士のスクールカウンセラーが派遣されている。
小学生までストレスにさらされているのだ。
実は、我が官立大学にはカウンセラーが勤める相談室が二つある。
「二つも」と驚かれる方がいるかもしれない。「あるいは贅沢なことだ」と羨む方も。
また、人生の機微に敏感な人ならば「それは気の毒なことだ」と憐れむかもしれない。
小学生より二倍年をとっているから二つあるわけではないが、
「プッ」と吹き出したり、
「二つも!」とはしゃいだりしないでいただければありがたい。

 二つのうち一つは学生・保護者向けの相談室である。
こちらには苛め、校内暴力、パワハラ、セクハラ、アカハラと相談事が持ち込まれている。
臨床心理士や精神科医たちが日夜活躍しているのだ。
このにぎわいをどう評価すべきか迷うところである。
 もう一つの方は大学関係者向けのものである。
そう、小生たちのために設けられていたのだ。面倒見が良い大学だ。
教官の中にはアルコール依存症、強迫性障害、統合失調症でお休みの方もいらっしゃる。
他人ごとではない。こうなる前なんとかしたいところだが。

 簿毛津教授のすすめは学内の相談室だった。
教官たちがこぞって通えば目立つこと間違いなしである。
確かに「工学部、只今心のメインテナンス中」がしっかりと「アピール」できるであろう。
しかし、小生困るのである。個人的に危惧するところがある。
カウンセリングは小生たちが若い頃には無かった職業だ。
受け止め方は年代によって随分違っている。
小生の世代は、他人に相談するのは進学、就職、結婚くらいなものだった。
「心の問題」を人に話すことには抵抗があるのだ。
それは個人の問題だ、私ごとを口にするのは恥ずかしい、自尊心が傷つくなどなど。
心にブレーキがかかってしまう。
 時代の変化は十分わかっているつもりだ。
カウンセリングを受けても露骨なことをいう人はいないだろう。
なにしろ知性の府の官立大学である。
 しかし、人の視線は正直である。いつの間にか研究意欲が対象を求めてスイッチオン。
「お、工学部の連中か。強度が足りなかったのか」
粗探しをし出したら重箱の隅まで観察してしまう。
「とうとう心身が脆弱したか、寿命だな」とか
「キンゾク疲労だな」とか目が語るのだ。
含み笑いさえ聞こえてきそうではないか。
ああ、もう考えるだけでもいたたまれない。

 正直思いもしなかった。小生にまでカウンセリング適齢期がやってきてしまったのだ。
声を大にして言いたい。人生に安定期などないのだ。不測の事態は起こるものである。
熟慮して作成した工期日程も価値もなかった。
このぶんでいくと、棺桶に片足をいれる頃にはもっとスリリングなことが起きて死んでしまうかもしれない。
気をつけよ。

続く

32:文一興 :

2017/09/10 (Sun) 16:41:21

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第20回「いざ、カウンセリング」

中助教授がつぶやいた。
「ホントに行かないといけませんかね」
彼を見て、はたと気がついた。彼は派手で奇妙な身なりができる奇抜者だ。キャラが自然と立っている。
好感を持たれずとも「奇抜で候う」と通せば一風変わった科学者として記憶されたであろう。
残念なことに自覚していなかった。鷹揚に構えることができなかったのだ。
彼は自説にあくまでもこだわった。学者なら研究成果である自説に執着するのは当然だ。
新たな発見で自分から変えるのなら問題ない。しかし反論に屈するのは我慢ならない。
頭に血が上ってカッとなる。ここで逆上キャラを発揮してはいけなかった。
異論の一つでしかない。たかがそんなもので自己の存在を否定されたと受けとめるのだ。
幼稚と言えば幼稚だが、学者だって幼稚な部分はたっぷりあるのだ。
なんにせよ、こだわり過ぎると見苦しい姿を露わにしてしまうことがある。
中助教授は異論を唱えた教授と対決させろとテレビ局にねじこんだらしい。まるで決闘である。
テレビ毒にでも中ったのであろうか。自分から傷口を広げてしまったのだ。

かたや医学の専門家たち、工学部と比べても彼らの「活躍」は上回ってはいても劣ることは無かったはずだ。
重大事象の生放送ではなかったとはいえ、汚染が分かった後の健康問題だ。
視聴率も高くて数千万の人たちに見られている。
あれだけの迷場面を提供したのだからさぞかし評判を下げただろう。
何事もなかったような顔で平然と研究生活を続けられないだろう。
などと予想していたのだが、小生は甘かった。世の中もっと楽だった。
海の魚は汚染されないと言った教授は大した人物であった。
たっぷり汚染された海の魚が証拠として出てきても平然としていた。
テレビカメラの前できつい質問にも動じたそぶりも見せなかった。
笑みを浮かべ「僕は正しいと思ったことを言います」と広言していた。
「正しいこと」と聞いて「素敵」とか「立派なもんだ」と感心した視聴者もいたのではなかろうか。
しかし小生は驚いた。
彼は有名な研究所の科学者だ。それなのに汚染データを無視している。
意に染まない実験データは「それ違うと思うよ」で済ましてしまうのだろうか。合点がいきかねる。
ニヤニヤ笑いながら応対している様子から、もしかしたらと気がついた。
彼はキャラを使っていたのではないか。忍術使いならぬキャラ使い。
窮地に陥ったときにはスルリとすり抜ける。このようなスキルを身につけているとは驚きだ。
研究所ではこの手のスキルも身につけるべく時間をとっているのであろうか。暇があって羨ましい。
何キャラだろう。おとぼけキャラ、嫌みキャラ、うつけ者キャラ、たわけ者キャラ。
小心者にはこなせないキャラではないか。難易度が高そうだ。
つくづく思う。素顔のままでは生きていけない世の中になってしまっているのだ。
てやんでえの喧嘩キャラ、媚びるためのごますりキャラ、
良きに計らえの殿様キャラ、任せとけのオレ様キャラ、
言いたい放題の放言キャラ。
いくつか身につけて使いこなせないと世渡りが上手くいかないのだ。
小生このキャラが使えない。
使えば小生を知っている人たちが何と思うだろう気になってしまう。
師や同僚、同じ研究者たち、学生の目が気になるのだ。
テレビ出演などすると必ず彼らのチェックが入る。録画だってするだろう。
普段と違った説を話せば彼らは直ぐに気づく。
すると、なぜ羽毛田は自説を変えてしまったのだろう。
あの軽い発言の理由はなんであろうか。
彼らはあれこれ疑惑の推論をするだろう。
ひとつまたひとつと可能性のない理由が消えていく。
残りは「時節柄の自説」「都合による自説」に落ち着いてしまう。
大っぴらにできないことがあったに違いない。何かが動いたのだろう。どんな支援だろう。
いろいろと勘ぐられてしまう。
結果「彼は科学者休業中だな」と皮肉られてしまうのだ。

続く

31:文一興 :

2017/08/21 (Mon) 01:06:58

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第19回「いざ、カウンセリング」

この日から「後遺症」はあまねく降り注いだ。体の外にも内側にも。
見えない傷口にはどう対処すべきなのだろうか。
そういえば、あの重大事象解説では医学の分野からも専門家がかりだされていた。
事故後に懸念されるのは体への影響だ。汚された水でミルクは飲ませられない。
幼な子の母親だけではない誰もが知りたいことだ。
彼らは能弁であった。日頃患者を相手にしているせいであろうか。弁がたつとはこのことかと思った。
しかし、過ぎるのも考えものであった。我らに劣らず見せ場を作ってくれた。

「ホルミシス効果がある。細胞が強化される。」
恐れるに足らず。浴びれば浴びるほど健康になるそうだ。
「海の魚は汚染されない。」テレビを見ていて椅子からずり落ちた人もいたであろう。
「これからはHIROSIMA、NAGASAKIよりFUKUSIMAです。一躍有名です。世界のFUKUSIMA。」
テレビではしゃぎながら言った教授。彼以外の日本人は誰一人喜んでいなかった。
「笑っている人には影響ない。クヨクヨしている人にやってくる。」
故郷から遠くはなされた人たちにも笑って暮らせというのだろうか。
子々孫々にも。無慈悲な言葉を平気で吐いた。
研究者として医者として「はしゃぎながら言った」理由を知りたい人も多いだろう。

なんと言ったら良いのやら、傍若無人の活躍であった。
とにかく、テレビの前で彼らは後遺症についての知見を開陳したのだ。
肩書きは研究所の医学者だった。
テレビ局がアル中の酔っ払いを連れてくるはずはない、と思う。
少なくとも科学者と言っていいはずだ。
だが、どうだろう。あれは「身過ぎ世過ぎのための自説」ではなかったろうか。
一時しのぎができればいい。人の噂も七十五日。
そのうち忘れるだろうくらいに考えていたのだろう。
この放送を見てしまった人の中には、
驚きでクラクラッとめまいを覚え、
次第にフツフツと腹わたが煮えくりかえり、
いつの間にか右手に石を持っている人もいたのではないだろうか。
映像というものは罪なものである。見る者に憎悪や犯意までもたせてしまう。
出演する者の知性品性も露わにしてしまう。化けの皮を剥がしてしまう力がある。
素のままで出るのは危険なのだ。
仮面をかぶれとは言えないが、好感を持たれるキャラクター作りをして出るべきだった。
だが、素人には無理というものであった。

続く
30:文 一興 :

2017/07/27 (Thu) 21:58:13

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第18回「いざ、カウンセリング」

生放送であった。「生」は中ったらきつい。熱湯をさらっと通したところで殺せない菌もある。
街頭で生インタビューされてスラスラと答える人は仕込みである。おそらく俳優予備軍。
素人がいきになり突きつけられたマイクに向かって思うところを言うなど至難の技だ。
学者もテレビは素人だ。必要な場馴れも不十分であった。
空前の事象に入念な打ち合わせなど準備のしようがないだろう。
事象は先行する。後から追いかける。解説は混乱していく。
どの番組も時間が経つほどに散々な有様になっていった。
画面から生放送の緊張感よりも混沌ぶりが伝わってくる。
中助教授の報道番組はというとバラエティ番組のごとしであった。
「助教授の眼鏡のフレームは専攻の学問と何か関係があるのでしょうか」
「アハ、ある訳ないでしょ」
「昨日は黄色フレームでしたが、今日は赤フレームですよね。重大な意味が?」
「交通信号じゃあるまいし、他意はありませんよ。ハハハハ。もちろん青のフレームのも持ってます」
女性アナウンサーと楽しいかけあいをしていた。羨ましい。
事象解説が、分かるような分からないような、正しいような正しくないような番組で終われば問題はなかった。
世紀の重大事象も尻すぼみ。火消し効果がある。
視聴者がパニックになって暴動を起こすことはないだろう。
だが、肩を叩き合って良かったと安堵は許されなかった。
笑っている間に恐怖の事象は進行していた。
「ゼッタイ安全」と半世紀も言い続けてきた。恐くて漢字では書けなかった。
「安全、安全まだ安全」「安全かもしれないヨ」とか
「安全だったらいいネ」くらいに宣伝しておけばよかった。
厚さ20センチの鉄壁の御釜だ。壊れる確率は巨大隕石の地球衝突のそれより低い。
計算力さえも無かった。
スリーマイル島事故が1979年、チェルノブイリ事故が1986年、我が国が2011年と段々と事故の規模も大きくなった。
これでは事故の流星群だ。
そしてあの爆発だ。世界が注視する中で二種類の大爆発。
建物が四方八方木っ端微塵に吹っ飛んだ。
釜の蓋を盛大にふっ飛ばし、黒い煙が威勢良く吹き上げられた。
世界が見てしまった世紀の映像。テレビ局のスタジオでは、
席を立って逃げ出そうと腰を浮かす人、
われしらず合掌する人、
奇跡のある方がいいと十字を切る人、
様々な反応が繰り広げられた。
小生、目と空想力はいい方である。

続く


29:文 一興 :

2017/07/20 (Thu) 18:17:53

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第17回「いざ、カウンセリング」

緊急の知らせは簿毛津教授から伝わった。
重大事象の解説にいくつかのテレビ局から出演依頼があったとのことだった。
誰が重大事象解説の適任者か。
権威より説明が上手い方が適任だ。
都合が悪い事態を分かり易く説明されると困る。などと色々と議論があった。
しかし、火中の栗を拾わされる損な役割だと口にした者がいないのは不思議だった。
出たがりが多いのかもしれない。

自ら買ってでたのは簿毛津教授であった。
あと二人がかりだされたが、一人が中助教授だった。
あの奇抜な身なりで出演可能なのだろうか。
こんな危惧はあっさりと没問題。
むしろ工学部の助教授とは思えない意外性が高ポイントゲット。
視聴者は彼の解説よりも奇妙ないでたちに目を奪われるだろう。
そんな事態もありかな。
といったふうに彼に決まったのだろう。

解説を任された中助教授は良くやった。出演していた他大学の連中も同様だ。
刻々と重大事象が変化するなかでの解説である。
現場からの情報不足もあって十分な推論などできようはずがない。
涙ぐましいともいえる努力だった。
同僚として見ていてもこれ以上の解説は土台無理だろうと思われた。
ただ、努力より結果が重要視されることは往々にしてあることだ。
そしてテレビの前の視聴者には映っている映像が全てだ。

正常なら低温なのに高温沸騰になっている。一体どういうことだと疑念がわく。
モニタリングポストの計測は異常な数値を示す。それを聞いた専門家は絶句する。
正常ならありえない数値だ。もしかしたらともう一度論を組み立て直す。またズレる。
「いやあ、よくあることですよ」
と口にしたいところを、グッと我慢だ。生放送で迂闊なことは言えない。
しかし、態度には出てしまう。
色を失ってしまう。
天を見上げる。
視線が定まらない。
腕組みして目をつぶる。
小便をちびってしまう。
「あ、なんにもわからないんだ」
と視聴者に悟られてしまう。
専門家らの憮然とした表情には本音が現れている。
「ボクらだって初めてなんですよ、こんな最悪な事故」
怒りとも居直りとも言える雄叫びが聞こえてきそうだった。
世界が見ている放送だった。
連日こんな番組が放送されては流石の専門家も耐えられない。
官立大学なんてこんなものかと蔑まれ、
専門家なのに言ってることがころころと変わると呆れられ、
本当に信じていいのかと疑われ、
もしかしたら、この人たちは気の毒な人たちかもしれないと憐れまれてしまったのだ。
こうして全国規模で顔と名が知られることになってしまった。
出演後は何かと風あたりが強くなるのは当然だ。覚悟無くしての出演は無謀な行動だった。
ホイホイと安請け合いして大怪我だ。後遺症が残らないはずがない。

続く

28:文一興 :

2017/07/14 (Fri) 23:35:12

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第16回「いざ、カウンセリングへ」

ポスターは館内の要所でしっかりと教官と学生たちに挨拶をおくっていた。
何やら見張られているようで居心地悪い。
掲示板を前に、なんと素早い仕事ぶりだ、ここまでやるかとおののいて見ていると、話しかけられた。
特徴のある甲高い声は中助教授だ。「中」はアタリと読む。
「これで本当に名誉挽回しますかね」
心配するのも無理はない。小生だって心配だ。
しかしそれよりも彼のいでたちだ。彼の身なりは見るものを楽しませてくれる。
その日は比較的おとなしめだった。
黄色いフレームのロイド眼鏡、緑のシャツに黄色地に黒の水玉の蝶ネクタイだった。
ちゃんとスラックスを履き、意外なことに革靴だ。最近はおとなしめだ。
以前インドネシアの民族衣装のサロンをまとい下駄をつっかけていたときがあった。
予備校の宣伝用講師ではあるまいにちょっと奇抜である。
彼は気に入ったものにこだわるのだ。そして身につける。
他人の目はちっとも気にしない。それが今は弱音を吐いてしまっているのだ。
随分と疲れた表情だ。甲高い声に不安がひそんでいる。
励ましたいのはやまやまだが、明るい材料が見当たらない。
「効果はあると思うよ」
と返すのがせいぜいであった。小生の声も上ずっていた。彼と話すとつられて高くなる。
「でも、どんな効果でしょうかね」
どうやら彼も小生と同じような気持ちのようだ。
本音を言いたいところだが、やはり憚られる。
でも建前ばかりでは息がつまってしまう。
小生我慢できない性分が治らない。
「恥をかかずに生きるのは難しいよな」
彼の表情がスーッと暗くなった。小生は個人のことを言ったのではない。
工学部全体のことと自戒を込めて言ったのだが。
「恥は若いときにかくもんだよ」
彼の頰がピクピクッと引きつった。小生場を取り繕うのは苦手である。
この台詞は恩師からの受け売りだ。
拙い論文を初めて提出したときの励ましの言葉だった。
恥も若さゆえに起こしたのなら許されよう。いい歳であればみっともないと呆れられるのだ。彼はまだ若い、比較的。
彼の心痛は察しがつく。工学部のそれと同じなのだ。
2011の重大事象で我が工学部に出番が回ってきた。
これを無かったことにしてやり過ごせればどれほど良かったことか。
だがそれほど甘くは無かった。毎年委託研究費で支援されている身だ。
スポンサーから依頼を受ければ断りようがない。産学協同から生まれたこの仕組み。
当初は歓迎ムードだった。
あの頃コンピュータに「イタクケンキュウヒ」と入力すると「痛く研究費」と漢字変換されたのが思い出される。
あれは予言であったのだろうか。

続く


27:文一興 :

2017/07/04 (Tue) 17:51:50

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第15回「いざ、カウンセリングへ」

 「工学部、只今メンテナンス中」の垂れ幕が実験棟にかかって一ヶ月になろうかというときだった。
「羽毛田はん、上々やで」
とやってきたのは簿毛津教授であった。ご機嫌であった。
同僚の喜ぶ姿は久しぶりだ。どうやら策が上手く効き始めたらしい。
 選ばれたのは工学部の建物の中でも人通りに面したものだった。
まだ時期でもないのに外装工事の準備がなされていた。
ある月曜日の朝のことだ。その棟の入り口で足が止まってしまった。
見上げると建物を覆うように、
「工学部、只今メンテナンス中」
の幕が垂れていた。その横には、
「工学部、只今心のメンテナンス中」
がよりそっていた。例の策が実行にうつされた朝だった。
二本一対でいくつもズラリと垂れている。
圧倒されてボーッと見ていた。小生の肩をポンと叩いたのは簿毛津教授だった。
「どう、さりげなくアピールしてるやろ」
この瞬間小生の中で「さりげない」が断末魔の声をあげて消えて亡くなった。
垂れ幕は、白地に赤文字、赤地に白文字で作られていたのだ。
紅白はお祝い事だ。何がお目出度いのかちっともわからなかったのである。
小生のためらいを感じとったのか、
「も少しカラフルにしようかとおもたけど、そうなると秋葉原の電気街やから、やめといた」
と、分別のあるところを聞かせてくれた。残念そうであった。彼は今時の秋葉原に出没しているのであろうか。
それにしても官立大学の建物にこのような装いをさせるとは。
責任は小生にもあるのだがここまでとは。
ふと脳裏をよぎったのは大学闘争の映像であった。
当時は多くの大学で紛争が起きていたが、立て看板と垂れ幕はアピールのための必須アイテムであった。
幼かった小生は、首都から遠く離れた片田舎でただ見ているだけであった。
白地に黒で書かれた垂れ幕が印象に残っている。
田舎では白黒の幕は鯨幕ときまっていた。
校舎の壁一面に垂れ下がった幕も鯨幕さながらであった。何かが終わって忌中なのだろう。
それにしては怒号と暴力でにぎやかであった。
簿毛津教授も小生も残念なことに遅れてきた世代だ。
 屋内に入ると廊下の掲示ボードには、
「カウンセラーを求めて」
「行かなきゃ、カウンセリング」
「カウンセリングにうってっけの日」
「今日もカウンセリング日和」
などのポスターが所狭しと貼られていた。アドトレインの話が効きすぎたのであろうか。
すっかり環境は調えられたのだ。いくら鈍感で察しが悪くても何が起きているかわかるであろう。
カウンセリングへ一直線である。
学部長に「もう行った」と呼びかけられれば、若い研究者たちはしっかりと反応するはずである。

続く

26:文一興 :

2017/05/21 (Sun) 13:43:38

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第14回「閑話休題」

しかし、嘆いてばかりではいられない。
「そのとおりや。ぼくも学者の端くれやけど 、まだまだ気張るで」
スクワットしながらアピールした。まだまだ意気軒昂だ。
政治家は政治家であり続けるために支持者を増やす。
駆け出しならば駅前での演説、町内の集会は欠かせない。
「ぼくらも学者を続けるためにはひたすら研究と論文発表や。
若くてできる研究者も見いださんといかん」
確かに若い研究者は刺激をくれる。後進の育成も大切だ。しかしライバルもいる。
「学究の世界も生き馬の目を抜く競争社会にかわりはない。好敵手がいてこその世界や」
政治家には政敵がいる。
一目置かれているような人物もいるだろうが、虎視眈々と寝首を狙うような輩もいる。
「そうなんよ、この世は自分の好き放題やった方が勝ちやって思う奴らがおるんや」
だから油断は禁物である。些細なことできっかけを作って信頼をおとしめる。
下品とか嘘つきとか漢字が読めないとか。
目障りな政治家ならば悪者に仕立て上げれば一丁あがりだ。
「時代劇の勧善懲悪もんが好きやったからな、この国は」
遠山の金さんや水戸黄門は昭和生まれで知らない人はいないだろう。
悪を懲らしめる時代劇は飽きもせず制作された。
「ぼくは萬屋錦之介の破れ傘刀舟が好きだったな。すかっとするやない、あの決め台詞」
〈てめえら人間じゃねぇや、たた斬ってやる〉だった。
簿毛津教授は上段に構えて錦之介の殺陣の真似をした。誰も斬れそうになかった。
政治家を批難するのに政治でなくて人徳に欠けていると責めたてるのだ。
これで「叩っ斬られた」政治生命は気の毒だ。
国民に必要であったもしれない政治家も消えてゆく。
「要職に就く前に人徳チェックなんかあったら困るで。就くもんがいなくなったりして。
要職なんて無くした方がスッキリするわ」
社会的要職には善い人がつくものだ。そんな願いが心のどこかにあるのかもしれない。
理解はできるけれど残念なことだ。社会的地位は人格と正比例も反比例もしてない。
「受け入れたくない現実ってやつやな。
けどノーベル賞受賞者がドケチだったり女グセが悪かったりしても別におかしくないやろ。
それに研究成果は人格と正比例でも反比例もしてへん」
簿毛津教授が言うとなおさら説得力がある。
大物政治家がターゲットならばプロデューサーも腕の見せどころだ。
タネも仕掛けも大がかりで用意を怠らない。
週刊誌で火をつけておいて風を吹かせる。
次は新聞・テレビのマスコミが居間に侵入する。
騒ぎが大きくなり国中が煽られ燃えだしたらしめたもの。
冷静な判断力なんて吹っ飛ばせ。まともな意見を言うやつは変人だ。
「始末に悪いで、この手のばか騒ぎは。
何しろ相手は悪、自分は正しいと思い込んでる。
異論は許さへん、容赦なしや。
こうなったら坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで憎悪の塊や」
幾度も繰り返されているのに、ついのせられて一緒に騒ぐ。
自ら進んで猿まわしの猿になる。
「畑で潮干狩りしてるのとおんなじや」
言い回しは面白いが、その絵を思い浮かべると、とうてい笑えない。
正気とは思えない。痛ましいではないか。
こうやって餌食になった政治家は少なくない。
この大騒ぎの後に残るのは、花見の後と同じくゴミの山と決まっている。
「ぼくはな、お人好しは好きやで。でもよすぎるのは考えもんや。
騙されてもヘラヘラして笑いよる。ちゃんと怒れよなって思うで」
基本はジャブだ、とつぶやきながらパンチを繰り出す簿毛津教授。
手首が曲がっていてネコパンチだ。
怒りの矛先が分かってもなまくらパンチは届きそうもない。
「信じやすい国民性やからな。
マスコミ情報なんて伝染性の病原菌とおんなじやないか。
そんなもんばかり読んだり見たりして。終いには皆んな病になるで」
驚くにはあたらない。
テレビに出演したり紹介されたりすることを有り難がる国民性なのだ。
新聞など信じるに足りないなどといえば、何を信じたら、誰を頼ったらいいのなどと言い出すのだ。
「そんなに悲観することもないで、ぼくらは世界的な稀少種だと思えばええんや」
そんなに楽観的でもないと思うが。ものは言いようだ。言い換えると珍種ではなかろうか。
「このごろつくづく思うんや。人なんてあっけのうおかしうなってしまいよる。
羽毛田はんもそう思うやろ」
優しい言い方だけれど、要するにアレである、アレ。
言いたいことはよくわかる。
小生はもっと穏便な言い方を選ぶ。
味噌・糞一緒で判断がつかない頭になっちまったのである。
「羽毛田はん、それ笑えへんで」
困ったそうな表情で簿毛津教授は苦笑い、小生もつられて阿呆笑い。
「ところで羽毛田はん、覚えてはるかな」
ん、なにやら聞いた台詞だ。
「実るほどこうべの垂れる稲穂かな」
もちろん覚えている。
「死語だね」
「そうやな」
簿毛津教授は嘆息した。
小生も嘆息した。今夕は長くなりそうである。

25:文一興 :

2017/05/15 (Mon) 15:08:59

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第13 回「閑話休題」

「羽毛田はん、覚えてはるかな
簿毛津教授が小生に尋ねたのは「末は博士か、大臣か」という言葉だった。
唐突のことで何のことか一瞬考えた。
確かに耳にしたことがあるが、随分昔のことである。
「死語だね」
「そうやな」
簿毛津教授は嘆息した。
「羽毛田はんは誰から聞いた」
明治生まれの祖母だったか、大正生まれの父だったか。既に鬼籍に入って久しい。
「どちらにしても昭和は遠くに去りにけりや」
出世などという言葉も使われなくなった。
「博士」と「大臣」がその代表だったとは今では誰が信じるだろう。
政治家は人々の尊敬の念を失っていった。学者も同様に坂を下っていったのだ。
「そういうけどな、人々の方もどうかと思うで。
政治は人間の欲望の坩堝や。せめぎあいの中で泳ぐのが政治家なんや。
功も罪も両方あって当然や。どっちか一方を評価するのは片手落ちや。
羽毛田はんもそうやろが、ぼくは好きで研究生活してるんや。
尊敬されたいために学者になったわけやあらへん」
今は彼の言うとおりだろう。
小生も大学での役目がら政治家と付きあう一時期があった。
政治家だけに限らないが色々と口には出せない苦労がある。
資金のことは当然として、様々な人と付き合わねばならない。
小生はこれが不得手である。
政治家の資質に人と対話し交渉する能力が必要だが、
彼らは人数も種類も桁違いの人たちと会わなければならないのだ。
「議会で業界に有利な発言をさせてやろう」
「おこぼれに預かってうまい汁を吸ってやろう」
「金で縛りをかけて操ってやろう」
「金の匂いのする情報を手に入れてやろう」
「騙して罠にはめてやろう」
「脅して言うことをきかせよう」
「主張が良い。こいつを手伝ってやろう」
「この政治家を育てよう」
毛色の違いも思惑の多彩さも挙げるときりがない。
「その点では似たり寄ったりや。学者仲間もけったいなのが多いからな」
とつぶやく簿毛津教授。往々にして自分たちの客観的評価は難しいものだ。
タシサイサイぶりは政治家の周りに集う人たちには到底及ばない。
政治家は来るもの拒まずだ。
あいつは好きこいつは嫌いなどと選り好みをしてはいられない。
支持者を増やすためには笑顔で迎え大きな手で握手をする。
どんな人間であれ一票は一票なのだ。
「ぼくらの学部も大勢に受験してもらいたいもんや」
少子化進行中とはいえ、他学部に比べると受験者数は急な下り坂だ。
支持者からの無理難題もあるだろう。違法を知ってての陳情もある。
ああしろこうしろの圧力に政治家はさらされているのだ。
「ぼくが嫌なのは論文のテーマは何がいいか尋ねてくる親たち、あれなんとかならんやろか、毎年何人かおるで」
小生が苦手なのは入学式と卒業式である。
夫婦そろっての出席が目立つ。幼稚園の入園式じゃあるまいし。
「世は移ろうてしもうたわ」
確かに。初心も同じである。
必ずしも環境が決定するわけではないが、初心の政治信念も劣化風化は免れない。
学者も長く続けていると研究に倦み飽きるものだ。
意欲があっても才が乏しい場合もある。しみじみと幾度も感じたものである。
最近は何を研究してるのか自身も忘れてしまうことがある。

続く
24:文一興 :

2017/04/17 (Mon) 13:51:42

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第12回「羽毛田教授は迷走中」
「そこでな、羽毛田はん、何かいい案無いやろか」
腕組みをして考えようとした。目に浮かぶのは小学生の健康診断よろしく教官たちが相談室に並ぶ図だ。
これが目標だと思うと気持ちは複雑だ。
「今は行動のときや、ここ一番羽毛田はんに協力してもらいたいと思うてな」
 この申し出にちょっと身構えた。一肌ぬぐのはやぶさかではないが、話の流れが見えてこない。
羽毛田はん羽毛田はんと何度も言われたときに、何か良いことがあったためしがない。
行動するというが、何をしようというのだろうか。
ただ、学生時代からのつきあいだ。協力しないとは言にくい。
「今は変革のときや。この点はみんなわかってくれてると思う」
確かにそのとおり。他大学も生き残りに力を尽くしてる。
院と学部の垣根を取り除いたり、学部や学科の名称をかえてイメージを上げようとしたりと。
後れを取れば評価は下がり続けるしかない。
「ここは羽毛田はんの出番やと思うんや。工学部のたて直しのためにな」
性というのであろうか、小生この「出番」の一語を聞くとつい膝が前に進んでしまうのだ。
工学部のためといわれると殺し文句に近いものがある。彼の表情には一瞬笑みが浮かんだようだった。
「説得よりも雰囲気や。『みんなも行ってますよ』という流れ作りが大切だと思うんや」
小生、これには納得するところがある。
「相談するのが、
『あ、なんだそういうことか。どうってことないね。じゃ行こうか』
と抵抗感なく相談室に通ってもらえるようにしたいわけや」
「『今日はカウンセリング日和だね』なんて会話が聞きいたいということだ」
「それや!羽毛田はん。上手いこと言うてくれた。我が大学のために今が一肌脱ぐ機会や」
「それでぼくにどうしろと」
はずみで口が滑ってしまった。
「手本を同輩後輩に見せてもらいたいんや」
「手本というと」
「率先垂範や」
「それって『ぼく、カウンセリング受けてます』って高らかに宣言しろってことかいな」
声が上ずってしまった。白羽の矢が飛んできたのだ。
「さすが羽毛田はん、察しが早い」
すっかり同僚の表情がほころんだ。小生が明日にでもカウンセラーの門を叩くと思ったようだ。
喜んでくれたのは小生もうれしいが、それはちょっと困る。
受けいれた訳ではないが、協力は惜しまない。我々はもう若くはない。裏方に回って後進にチャンスを譲ろう。
こう言うと、簿毛津教授は気落ちした。
しかし、小生も彼の同僚である。見捨てることができようか。
ささった白羽の矢をぬいたところで、小生は例のポスターの一件を話した。
「よし、それできまりや羽毛田はん」
察しの良い同僚であった。小生力強くこたえた。
「行くぜ、カウンセリング!」
簿毛津教授はポンと膝をたたくと、
「行くで、カウンセリング!」
満面の笑みであった。
「そや、『明日はカウンセリングにうってっけの日だね』これも足しとこう」
ご機嫌であった。
かくして工学部の研究室や廊下に「行くぜ、カウンセリング」のポスターが貼られることとなった。
「明日はカウンセリングにうってっけの日だね」も作られたのは言うまでもないことであった。

続く


23:文一興:

2017/04/08 (Sat) 11:58:06

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第11回「羽毛田教授は迷走中」

対策としては内には説得、外には広報が必要だろう。
「みんなが気楽にカウンセリングにかかれるようにひと工夫が必要や。
そこで研究室の若い者にアイデアをださせたんやけど、これが時間の無駄やった」
若い者も気の毒だ。これこそお門違いだろう。
「お手軽で、つい馴染みの言葉をつこうてしまうんや。
<只今リセット中><自己診断センセー稼動中><自己修復中>
これやと不具合とか壊れてるって白状してんのと同じや」
にがりきった表情が目に浮かぶ。
「禁句にすると、<カウンセリング、みんなで受ければこわくない>とか、
<党議拘束を見習って学部拘束をかけてしまえ>とか。古臭くさいのばっかりや」
焦る気持ちもわかるではないか。八方塞がりになりつつあるのだ。
「カウンセリングを受けるっちゅうことは、我々工学部が正常な判断を保つために
いつも努力をしてるってアピールになるやろ。
ここんところがまだ若い連中には理解の及ばんところなんよ」
 小生も若い連中の一人だろうか。首をひねってしまった。
「それにな、今日びの若いのは保守的やで。『教授、世間体が悪いでしょ』と平然と言いよった」
それは信じられないと、小生眉間に皺をよせて賛意を示した。
しかし簿毛津教授からみれば保守的でない方が珍しい。
「情けないことや。『わしらは科学者や。科学者ともあろうものが世間体を気にするなんて、
学者の風上にも置けん』ってな、ガツンというてやったがな」
さすが簿毛津教授である。
もっとも「世間体」を「迷信」と置きかえたら効き目があったかもしれない。
学者も人の子である。家にあっては夫で父親、電車の中では一般人である。
抵抗感から脱けだすのは並大抵ではないだろう。
カウンセリングを受ける。どこかに問題がある。内科でも外科でもない。
あそこに問題がある。それは問題だ。
思考はこのような回路をぐるぐる巡るのだ。
残念ながら我が国では「問題があるのは当たり前だ」とはなっていない。
何が何でも正常であるべきなのである。これは随分と疲れる。
妻帯者の家庭では、小生の家庭のはなしでないことをことわっておくが、
カウンセリングに理解の及ばない家人もいるだろう。
そういった家では「カウンセリングなんて横文字で誤魔化して。精神科でしょ。世間体が悪いわね」
といった会話がおそらく、きっと、まず間違いなく、交わされているはずである。
安らぎをもたらしてくれるはずの家庭でさえこうなるのだ。
工学部の諸兄は身動きのできない状況に置かれているはずだ。必要なのは現状打破だ。

続く
22:文一興:

2017/04/02 (Sun) 09:03:42

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第10回「羽毛田教授は迷走中」

 「お知恵拝借や、羽毛田はん」
 と言って研究室に力なく入ってきたのは簿毛津教授である。
顔を見ると広いおでこに絆創膏がもう一つ増えている。
「今日は4月1日や、エイプリルフールやけどボケはやめといて」
彼は鞄からマイカップを取り出した。前のものより大きなサイズにエスプレッソを一滴のこらずいれてしまった。
小生の目の前でがぶ飲みである。随分とお疲れのようであった。
「これで一息つけたわ」
彼流の挨拶がすむと、
「世ん中ままならんもんやなあ」
「誤解されとんのかもしれへんな」
「みんなのためをおもての提案やのに」
ぼやくこと三連発。
 今度ばかりは賛同をえられないのであろうか。
学部を思う気持ちは人後に落ちない簿毛津教授。彼が心を配るのは同僚だけではない。
後輩や研究生のためにも骨みを惜しんだことはない。なのに非協力的。辛いところである。
 「何か妙案はないやろか、羽毛田はん」
 弱音をもらすとは珍しい。小生、ゆっくり腕組みをした。案はないことはない。
しかし、ポスターの件は妙案とは言い難い。
「みんなしり込みしよる。今のところ一人だけや、行くって納得したのは」
勇気のある者だ。見ならいたいくらいだ。
「松元くんがな、『僕、カウンセラー・トロイをさがす旅に出ます』いうてくれた」
やはり若手だ、素直だ。と思いつつも、不明なところがある。
カウンセラー・トロイとは一体何者だ。
「なんや羽毛田はん、知らんのかいな。
松元くんはトレッキーなんや。航空宇宙工学科には多いで」
ますますわからなくなった。
「トロツキーやない、ディアナ=トロイいうてスタートレックに出てくるベタゾイド人の美人カウンセラーや」
美人カウンセラーはわかるが、ベタゾイド人は初耳だ。
「わからへんか。カーク船長や、ミスタースポックやがな」
「宇宙大作戦!」

中略

このさい動機は問うまい。
トロイを探す松元くんのスバヤイ反応。独り身の研究者は身軽でうらやましい。
テレビ出演で常識外れを披露したようだが、研究ばかりでは世問知らずになるのも無理はない。
妻帯でもすれば角もとれて丸くなり、そのうちすり減るだろう。
「羽毛田はんやから言うけどな、どうもみんな状況を軽く見ている。
役目がら外との付きあいが多いからヒシヒシと伝わるで。
初対面やと名刺を交換するやろ。そのときや、『あ、例の』とか『あ、なる程』とかの視線を感じるんや。
羽毛田はどうや」
どうと問われても辛いところで、小生無言で二度深く首肯いた。
話せば怒りと惨めさが甦ってくるのだった。
「前の総長の言うとおりで、昨今の状況は厳しいもんがある。この認識を共有できてないのがはがゆいところや」
賛意を得るよりも、抵抗感を無くす方が先決のようだった。

続く
21:文一興 :

2017/03/17 (Fri) 14:39:17

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第9回「羽毛田教授は迷走中」

〈東北新幹線、東京ー新青森開業一周年。ぼくらは、まっすぐ、つながっている。〉
16枚一組のこのポスタ―、大量に刷られたのは間違いない。その物量が見る人たちに多大な影響を与えたはずである。
だが、欲深くもそれだけでは物足りなかったようだ。
小生は遭遇してしまったのだ。
ある朝のこと、いつものように電車が山手線のホームに滑るようにはいってきた。
いつもと違ったのは車両だった。
先頭車両の前面に〈行くぜ、東北。〉のステッカー。側面にもびっしりとポスター。
山手線の車両は祭の山車のごとき派手さであった。
世にこれをアドトレインと呼ぶらしい。
電車がお迎えに来たのである。
車内は広告で、〈行くぜ、東北。〉一色であった。
中吊りの空間はもちろん座席の上の壁面、扉横の壁もすきまなくびっしりと。
「見るんだ。〈行くぜ、東北。〉のポスター。」
まるで脅されているようだった。
乗りこんだのはいいがだんだんと息苦しくなってきた。
情けないことに途中で下車してひと休み。
しかし、次の電車もまたアドトレイン。
ふと思った。この電車にのってしまったら目的地で降りられるのだろうか。
違った駅で下りたり、乗りこしたりした人もいるのではないか。
下りられなくて乗ったままの人もいてもおかしくはない。
 しかし不思議なものである。
通勤のための山手線。連日朝晩乗っていると最初うけた違和感が、ものの見事に薄らいでいく。
慣れの恐ろしさとはこのことかと思った。
電車に乗ると時おりアドトレインに乗っているような気になってしまう。これは後遺症なのであろうか。

 特に印象に残ったポスターはIWATE版の一枚だ。
帽子をかぶりコートを着た人物のシルエットの一枚。
宮沢賢治と思しき人物の姿がストップモーションで、スッ、スッ、スッと三つ、歩いているかのようにとらえられていた。
賢治ファンにはたまらない。このポスターにはこうあった。
〈何ニモマケズ、進んで行こう。〉
 この決意。もう負けてしまいそうである。
次にYAMAGATA版だ。最上川の川下り。
手に棹を握った船頭が三途の川の渡し守のごとき後ろ姿で、
〈人生、山あり、川あり。〉
と船中の女たちに説いている。
ちょっと待ってくれ、若い身そらだ、渡るにはまだ早すぎる。
 しかし、別のポスターには、
〈今行かなくて、いつ行くんだ。〉
 とあった。決断が迫られているのだ。
叱られているようでもあるのが少し引っかかる。
 最後のFUKUSHIMA版には、
〈行かなきゃ、なにも、はじまらない。〉
 とあった。おっしゃる通りである。
恐れてはいけない。
尻込みしてはいけないのだ。
鼓舞されてグッとくるではないか。
 もうイっちゃいそうである。
 そして、この一連のポスターの結びはこうだった。
〈来たぜ、東北。スタンプキャンペーン。〉
〈行くぜ、東北。〉と呼んで〈来たぜ、東北。〉できっちりと応える。
なる程と深く納得してしまうのであった。
ただ東北全県訪れるスタンプラリーに参加しても、貰えるものが缶バッヂとはいかがなものか。
もっと補償を厚くして頂きたいと思うのは小生だけだろうか。

 今も続いている〈行くぜ、東北。〉キャンペーン。
日々の通勤のたびにジワリジワリと効いてくる。
脳細胞のどこがどう突つかれたのか分からぬが、その気になってしまったのである。
〈行かなきゃ、東北。〉
まことにポスターの影響力はすさまじい。ちょっと脳が洗われて麻痺気味だったかもしれないが。
しかし、露骨な真似ではあるが〈行こうぜ、カウンセラー。〉の基になったことは間違いない。

続く

20:文一興 :

2017/03/10 (Fri) 23:46:47

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第8回「羽毛田教授は迷走中」

このように思ったのはある観光ポスターにでくわしたからで、思いがけないところに展望の機会はあるものである。
アイデアのきっかけとなるものはJRの駅構内に貼られたポスターであった。
普段は旅行会社の物が目に付くのだが、それはJR東日本が作成させたものらしかった。
2011年にやっと東京から青森まで全線開通した東北新幹線。
3月l1日のせいで出鼻をしたたかにくじかれて利用客が増えないらしい。
首都圏一帯から観光客を誘致するために練られた作戦だろう。
〈そうだ、京都へ行こう。〉
 間違えた。これはJR東海の方だ。JR東日本はこちらだ。
〈行くぜ、東北。〉
 威勢のいい宣伝文句がおどっていた。
「ぜ」の一語が勇ましい。
どんな困難であろうと来るなら来てみろ。打ちまかしてくれる。
「ぜ」が気概を表し、なんとしてでも東北へ。
その意気込みをひしひしと伝えてくれるではないか。
小生、雄々しくて右肩上がりが好きなのである。
都内の駅はもちろんのこと近県の駅という駅にも貼られていた。
東北へといざなうポスターが、駅の階段の側壁やら通路にペタペタと隙間もなく貼られたのだ。
AOMRI、AKITA、IWATE、MIYAGI、YAMAGATA、FUKUSHIMAの各県ごとに合計十六種類ものポスターが作製されたのだ。
小生、美術関係は門外漢である。
しかし、このポスターには考えさせられた。
久しぶりに思いを巡らせたせいか頭がクラクラッときた。
観光ポスターは、有名な景勝地、古い建物や街並み、その土地ならでは食材を活かした料理の写真で埋められているものだ。これが普通だ。
四季の色彩にもあふれている。情報は満載、楽しさ演出、美味しさ満腹を競って観光客をいざなうのだ。
ところが〈行くぜ、東北。〉はひと味もふた味も違っていた。
その味わいをなんと言い表したらよいのか。
まず滋味は無さそうである。
では、妙味か苦味か渋味か、じっくり見てもどの辺りを狙っているのかよく分からないのだ。
まさか珍味ではあるまいと思うが、その味わいは小生の年を経た舌では感じとることは無理であった。

 各県のポスターは全てコラージュだった。
AOMRI版には大間のマグロに大漁旗とりんご豪快丸かじり。
AKITA版には男鹿のナマハゲと秋田犬。
IWATE版は冷麺、じゃじゃ麺、わんこそばの三大麺。
YAMAGATA版には最上川の川下りと蔵王のスキー。
FUKUSHIMA版には会津のお城と赤べこ。
MIYAGI版には戦国武将の伊達と鳴子こけし。
東北各県を代表するものばかりだ。どれも日本人には馴染みが深い。
だが肝心の人と物の表し方に腑に落ちないところがある。
赤べコもりんごもナマハゲも白黒の濃淡で表されている。
これの意味するところがわからない。
東北から色彩と精彩を奪ってどんな魅力が表せるのだろうか。
普通なら、
口中でとろける大間のマグロ、
病みつきなるぞ盛岡冷麺、
樹氷の森で貴方とスキー、
ぐらいは見るものにアピールするものだ。
そんな誘いの一つも感じさせてくれない。
ほど遠い。生き生きしてないのである。
全部に〈行くぜ、東北。〉の文字が刷られているが、どこか寒々しく他人事のようなのである。


続く
19:文一興 :

2017/03/09 (Thu) 08:59:13

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第7回「羽毛田教授は迷走中」

とりあえずだが、学部長は決断を下したのだ。
問題は教官たちをどう説得するかだ。
ひと工夫もふた工夫も必要だろうが、あまり時間はかけられない。
一筋縄でいくはずがない工学部の諸氏をどの様に扱うか。
お手並み拝見だ。
と、他人事のように述べたが小生も工学部の一員である。
震源地の上でいるのに烈しい揺れから免れるわけがない。
我が官立大学においても工学部を受験する生徒は年々減っているのだ。
高度経済成長の時代には憧れの学部であった。
だが今は見るかげもない。
募集人数の半分にもいかない学科もでて来るありさまだ。
腐っても鯛だなんて居直ってはいられない。
評判を何とかして元に戻さなければならない。復興は無理でも旧には復りたい。
あせる簿毛津教授の気持ちもわかるではないか。
あゝしろこうしろと言うべき立場にはないが、ひと肌脱ぐべきときが来るかもしれない。
その時に打開策の一つもないでは長年の同僚として不甲斐ない。
不甲斐ない奴と思われるのは、小生嫌である。
そこで、ポスターである。
高がポスターであるがその影響力は侮れないものがある。
街を歩けば看板とポスターは嫌でも目に入ってくる。
街中で見ない場所を探す方が難しい。
ビルの外壁、商品売り出し中の店先、バスの車体、車両の内部にまで、隙があれば埋め尽くしてくる。
いちいち気をとられていたのではまともな生活が困難だ。
ところが興味のあるもののポスターだとつい目がいってしまう。
そうなるとなんらかの影響をうけてしまう確率が高くなる。
小生もポスターを見て美術館に足を運んだことがいくどかあるくらいだ。
その影響は見る者の購買意欲をかりたてるだけではない。
およぼすところもいろいろと多様だ。
子犬、小猫のポスターを見れば心が和む。
祭りの神輿や花見のポスターを見ればそれだけで浮かれた気分になる。
化粧品のポスターを見ると使えば綺麗になれると錯覚する。
健康食品のポスターでは食べれば病気にならないと勘違いしたりする。
薬物依存撲滅ポスターを見ては素面でいるよりマシかとふと考えてしまう。
選挙ポスターを見ると交番に貼ってある指名手配にももっと金をかければいいのにとてしまう。
ほんとに副作用は豊富である。
しかしなんにせよ、ポスターで人の心をとらえれば大抵のことはできそうである。

続く
18:文一興 :

2017/02/12 (Sun) 20:50:45

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第6回 羽毛田教授はご傷心

さて、前の総長の「お達し」だが、何かをしろとは書いてない。
なら身をかがめ嵐が過ぎ去るのを待てば良い。
「まずテレビ出演をことわれば」
目立つことをしなければそれだけ風当りも弱まろうというものだ。
「隠忍自重」とはそういうものだと小生は思う。
「それは・・・」と言葉を濁す。
後輩たちがテレビに出ている有様を見て心配にならないのだろうか。
「昨今の状況を鑑みる」の文面からすると前の総長は憂慮しているのだろう。
国難とも言うべき重大事故が続いているときである。
国の行く末なのか、国民なのか、工学部なのか、はたまた自分なのか知るところではないが、心を痛めているのだ。
連日、官立大学の工学部や医学部の教授たちがテレビで大活躍である。
国民へのサービスに努めるためにかりだされた特任やら准やらの教授である。
パニックを起こさせない。無理にでも安心してもらおう。事故を小さく見せよう。
あわよくば早く忘れ去ってもらおう。涙ぐましい奮闘ぶりである。
このような場面がどのテレビでも続いているのだ。公共サービスのお手本であった。
忘れられないメイ場面もいくつか歴史に残ることになった。
ある教授が、
「内部に高圧のかかるお釜には弁があって、制御不能となったらそれを爆破して内圧を下げる仕組みがある」
と言った矢先に、巨大な建屋が木っ端微塵に吹っ飛んでしまったのだ。
「建屋もまるごと吹っ飛ぶ爆破弁ですか」と突っ込みが聞こえて来たのは空耳だったのか。
前の総長もテレビに釘づけだったのだ。
「テレビに出て血迷ったことを口にしたり、常識はずれを披露したりするな」
このあたりが彼の意図するところではなかったろうか。
小生は当たり前のことを繰り返した。
「ただ、素直に自重してればいいだけでしょ」
 こうしろと書いてない限りは何もしない方が良い。
ところが簿毛津教授の考えは違っていた。何かしないと落ち着かない性分なのだ。
「いや、わざわざのお達しやさかい、なんぞ行動に起こさんといかんやろ」
先の総長は歴代の中で「隠忍自重」と最も遠いお方である。
とすれば、そういう解釈の余地もないとは言えない。
ないとは言えないが、このような大事を愛弟子だとはいえ彼に託すのは考えものである。
簿毛津教授は研究者としては大したものである。
しかし、前の総長は適材適所を考えなかったのだろうか、
実生活では正しく理解してズレたことをしでかすのが簿毛津教授の常であった。
「あのな、みんなにカウンセリングを受けてもらおうと考えとるんやけど、羽毛田はんどない思う」
 ニコニコと笑顔で話す同僚であった。
「〈工学部、只今心のメインテナンス中〉いうてアピールするんや。どやろ」
大した危機感だ。小生涙がでそうになった。また垂れ幕か。
「ええわ、グッドアイデアやわ。さすが簿毛津はんや」
 とすかさず答えたのは言うまでもない。学部長の決定だ。
「そやろ、ええアイデアやろ。わかってくれると思うとったで、羽毛田はん。さすが一番弟子や」
ちっともうれしくなかった。

続く

17:文一興 :

2017/01/28 (Sat) 20:58:17

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第5回 羽毛田教授はご傷心

先輩教官の退官後の身のふり方は後輩の誰しも気になるところだ。
それが総長ともなると世間の目も加わって注目の的になる。
歴代の総長の身のふり方が手本となりひとつの作法があったように思える。
非営利組織の財団から請われても、
「少しお休みを頂いて~」とか
「長年連れ添った伴侶との時間を~」
とか鷹揚にかまえるのだ。
ここでガツガツした態度を見せてるのはもっての外である。
責任ある立場から解き放たれた時間を味わったのち、
「まだお役に立てることがあるならば」
とおもむろに腰をあげるのだ。
そして非営利の財団などの理事やら顧問やらに落ち着くのである。
教育関係であれば世間も納得するであろう。これは許容の範囲といえまいか。
天下りと言っては少々酷というものだろう。
ところが先の総長は退官後三ヶ月もしないうちに再就職の席を確保していた。
それも大企業の顧問の地位であった。
企業のホームページに笑顔を見せて得意そうに載っていたのだ。
これは異例であった。このときからだ。
他学部の方から冷ややかな眼差しで見られていると感じだしたのは。
加えて漏れ聞こえてきた中傷、陰口の類い。
「あちらこちらにトンネルを掘るのが上手い」
「素早い身のふり方はコンクリートが固まるより早い」
「どこに回路をつなげばよいかよく知ってるわ」
「倫理感がメルトダウンしてる」と散々であった。
他にも色々あったが言わないでおく。
こんな場面で研究意欲を発揮するとは、品性が知れるというものである。
ここは我慢のしどころであった。相手にあわせてはならない。わが工学部の品位まで疑がわれる。
しかし、最近の若衆は辛抱が足らないようだ。無視すればすむのに応えてしまうのだ。
それも嫌味を真に受けて
「わが工学部はトンネル掘りほ世界一や」
「われわれに回路は必要ない」
「メルトダウンじゃないメルトスルーだ」
などと自慢したり居直ったり大騒ぎであった。
こうなるとあちらも面白がってさらに傷口を広げてやろうとつけあがってくる。
最後には「育ちがわかるわなぁ」
「親の顔が見てみたい」
「お里が知れるとはこのことか」
決っして口にしてはならぬ言葉を言ってしまった。
これにはさすがの小生も頭にきた。
我慢してどうする。許してなるものか。ここで落とし前をつけねば禍根が残る。
一戦かまえるべく決意を促そうと簿毛津教授の研究室に向かった。
立場上加勢はしてくれなくとも、個人で立ち上がれば黙認してくれるだろうと思ったのだ。
しかし小生が入るなり、
「羽毛田はん、行くで、出入りや」
と叫んで迎える簿毛津教授がいた。
腹にサラシを巻いて準備万端ととのえたファッションであった。
そこに自分を見た思いがした。
多くは言うまい。急速に冷めていって冷静になったのだ。
これは止めなければならない。
「官立大学で学部抗争。飛び散る血しぶき」
の見出しが新聞に載らなかったのは彼のおかげであった。

続く


16:文一興 :

2017/01/28 (Sat) 00:58:52

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〈心ある方は、私の代弁者になってほしい。〉

「心ある方」は逃げるよ。→他人を舐めてる。

〈筋の通らぬ、事がぁ嫌いです〉

筋を通すのだったら、個人口座に金を振り込めなど悪筋だろう。


15:文一興 :

2017/01/27 (Fri) 23:27:27

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鉄面皮






14:文一興 :

2017/01/27 (Fri) 19:17:02

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今回は番外です。

刑事事件は、強盗窃盗殺人傷害など

人として犯してはならない罪が対象です。

横領罪は、これに準ずると言うことでしょう。

被害届けを出せば警察検察官のお仕事

判決が下っても、民事裁判が待っている。


ここは人様が自腹を切って運営するサイト


カネ集めをするなどもってのほか


厚顔無恥にして性格破綻
13:文一興 :

2017/01/21 (Sat) 18:15:34

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第4回 羽毛田教授はご傷心

 簿毛津教授は大黒原教授の愛弟子だ。それに学部長でもある。
いろいろとつながりがあるのだろう。
「羽毛田はんにも伝えておこうおもてな、来たわけや。これがそのメッセージや」
 A4の封筒から取り出したのは色紙だった。黒い線がのたくっている。
「やはりこれは危機感のあらわれやで、羽毛田はん」
見せられても部分的にしか読みとれない。黒いのたくりが危機なのだろうか。
先の総長は悪筆だった。
『昨今の日本の状況をつらつら鑑みるに、工学部の諸氏は隠忍自重するべきである』
と書いてあるらしい。解読できる簿毛津教授は重宝な男なのだ。
「このお達し、羽毛田はんはどうみる」
恩師の口からに「隠忍自重」の言葉。重く受け止めるべきである。
と言いたいところだが、全然気にする必要はない。
「隠忍自重」が前の総長を避けているような気がする。
「で、他の諸氏の反応は」
コーヒーを飲もうとして容器に口をつっこんだままモグモグ言っている。
かんばしくは無さそうだ。愛弟子としてしは辛いところだ。慰めの言葉もみつからない。
「学部長は大変だ」
「そんな他人事のようにいうて。何かええアイデアないやろか」
「隠忍自重するべき」というのだからじっとしていればいいだけではないのか。
それなのに何かしないとと考え込む。彼と小生のちがいを感じるときだ。
ただ研究生活では有効でも日常ではどうだろう。小生少々疑問がある。
総長の就任時のドタバタと退任後の騒動は今もって記憶に新しい。
大黒原教授は工学部出身初の総長であった。
長年軽んじられていた工学部からの選出なのだ。
大学において工学部の歴史は浅い。
学んでいるのは技術であって学問ではないと言われていたのである。
それが総長を出すまでになったのだ。喜んだの喜ばなかったの。
内輪で開かれた祝賀会は達成感と高揚感に満ちていた。
アイデア豊かな簿毛津教授は「祝 大黒原教授 総長就任」の大きな垂れ幕を用意した。
工学部の校舎の外に垂らそうというつもりだったのだ。
大黒原新総長はうれしそうに目を細めて見ていた。
小生、「甲子園出場みたい」ポツリともらしてしまった。
他意は無かったのに、新総長の表情はみるみる変わつてしまった。
しまったと気づいても、もう遅い。
「終了」のひと言で祝賀会はおひらきになってしまった。
不興をかってしまった小生に、簿毛津教授はつぶやいた。
「甲子園優勝いうたらよかったんや」
はたしてそういう問題だったのか。

-続く-
12:文一興 :

2017/01/15 (Sun) 20:35:24

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第3回 羽毛田教授はご傷心

 その日、簿毛津教授は小生の研究室にやって来た。
大版の広辞苑も楽にはいる大きな革の鞄を手にしていた。
彼のものだとすぐわかる年季の入ったものだ。
自分の研究室に行く前に来たのだろう。
わざわざ足を運んだのには何かわけがあるはずだ。
「羽毛田はん、このあいだはどなんしたん。すっぽかして。何ぞあったん」
 椅子に座っている小生を上から下までジロリと見て言った。
この前の会合のことだ。直截なもの言いはいつもの簿毛津教授であった。
しかし、この日はなんとなく様子がちがう。
わが同僚薄毛津君とは学部生のときから長い付き合いだ。
二人とも大黒原教授に師事して数十年。
気心の知れた仲なのだ。
小生の研究室に来れば、「一杯ちょうだいな」と言うや、
持参したマグカップにコーヒーを注いでいるはずなのだ。
それなのに少々憔悴ぎみなのだった。
何だろうと思いつつ下から上へと見上げてみた。
すると彼のおでこに大きな絆創膏が貼ってある。
「見つけたんかいな。目ざといな。こんなことどうでもええがな」
 どうすれば見つけずにすむというのだろう。
絆創膏には眉毛らしきものが描いてあった。無細工だ。
描かない方が良かったという判断は無かったのか。
「それよりわてらを取り巻く状況はけっこう厳しいもんがあってな、
そこんとこ羽毛田はん、わかってはるかな」
いきなりの謎かけ問答だ。自分を取り巻く状況なら心当たりがある。
しかし、「わてら」という言葉遣いにひっかかった。
「わてら」は複数である。
簿毛津教授とひとまとめではないか。小生かぶりを振った。
「そやろな。羽毛田はんは学究ひと筋やさかいにな」
 嫌味に聞こえた。コツッと鞄の留め金を外してカップを取り出した。
いや、蓋を閉めれば保温もできるオシャレな容器だ。今日はテイクアウトもするらしい。
「羽毛田はんの淹れたコーヒーはほんまに格別やな」
うれしかった。でも、ちょっと複雑。
「実はな、このあいだの集まりな、前の総長のお声がかりでな」
前の総長といえば大黒原教授である。
「現れたの」
「いや、伝言を預かっていてな、代読したんや」


続く
11:文一興 :

2017/01/11 (Wed) 18:44:57

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第2回
この歳になってこんなめにあうとは思いもよらなかった。
しかし、年の功であろうか、小生心の平衡を保つすべを知っている。
不測のできごとであっても直ぐさま平穏を取り戻せたのだ。
歳をとって良かった。
「わしのせいやない。あいつらが悪いんや」と叫んでみたのだ。
いささか大人げないが、これですっきりとした。
もちろん表現を変えるわざもある。
「非は当方ではなくて彼らにある」の方が馴染みがある。
しかしこれでは気分がもやっとしてちっとも晴れないのだ。
落ち度は彼女、彼にあるといっても彼らの知性を責めているわけではない。
今日の若者は視力が著しく落ちている。
勉学のせいもあろう。PC画面に目が疲れていることもある。
さらにはうっかり新聞に目を落としたままになったり、
テレビ映像が頭の中でこげついたりして、
視神経から脳まで傷めているのだ。
こんなことをしていたら世界を見る目が曇ってしまう。
見誤るのも無理からぬことである。
これも老化の現れではなかろうか。
若さゆえに自覚できないのだろう。
老人になるとそうはいかない。
なにしろ膝はガクガク目はショボショボ。
日々老人力がつく有様である。
耳が遠くなったり目が霞んだりするのは当たり前で、
「小生」を「ショウスイ=小水」と聞き誤ったり、
「学者」を「変者」と見誤ったりしてしまうのだ。
我々の国は世界史上例を見ない速さで超高齢社会に突入している。
人口が右肩上がりに伸びていた頃がなつかしい。
今では少子化は止まず、右肩上がりは老人比率だけ。
街を歩いても老嬢ばかり。若いと思ったら自分の妻くらいの年代だ。
もっと若女性はいないかと目をこすってみれば四十代。
女性に恨みはないが(こわくて)、女性の平均年齢は高くて人数も多い。
大学のキャンパスまで高齢化の波がおしよせてきたらと思うと空恐ろしくなる。

二度あることは三度あるとはいうけれど、全くもってそのとおりだった。
小生と面識のない学生ならば間違えるのも許せるが、事態はやや込み入っているようなのだ。
 同僚の簿毛津教授の研究室におもむいたときのことである。
彼の研究室は新しく建てられた実験棟にある。書斎のような別室までついている。
工学部だけで、それも至急の会合だというのだ。
行き慣れた場所であるが棟の入口で警備員に後ろから呼び止められてしまったのだ。
「ちょっと、そこの方、一般人はお断り」
他人に対してなんという不躾けな言いようか。こんな言い方をするのは新任の警備員に違いない。
虫の居所が悪かった小生は、
「そんなこと分かっとるよ」
 と一喝した。眉間にしわをよせて彼を見たのである。
「え、先生でしたか。これは大変失礼致しました」
 意外や彼は顔見知りでベテランの警備員だ。
彼の言いようはこうであった。
「いえ、御顔が変わられたので見間違えてしまいました」
好い方に変わったわけではなさそうだ。
お若いので間違いましたとか、私の勘違いでしたとか言って誤魔化してくれればよかったのに。
大学から追い出されるような顔になってしまったとは、情けない。
皺延ばしをした方がいいのか、プチ整形も考えるべきか。
頭にも増やしたいものがあるが、そちらの方が優先か。
しかしそんなことをしても寄る年波には勝てやしないのだ。
ちょっとでも考えた自分が不甲斐ない。全くもって困ったものだ。
それにしても身に覚えのないことを責められているようで居心地が悪い。
どう考えても腑に落ちない。
小生が変わったはずがない。ならば他人の方だ。
世間の人々が変わったのだろうと独りごちたのだった。
10:文一興 :

2016/12/31 (Sat) 23:44:36

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今回は「戯作」(=戯れの文)です。
反語、逆説、諧謔、皮肉に嫌味。
好むところを表現できるかどうかは、残念ながら別問題。
何回続けられるかも心もとない。


主人公は「工学部、羽毛田教授」
才乏しきを自覚してからは、世渡りが肝心と慣れない社交に精を出す。
題して「羽毛田教授随想録」




第1回「羽毛田教授はご傷心」

大きな声では言えないが、小生、実は学者である。
端くれとはいえ官立大学に勤めて三十猶予年。
学究生活にこれだけ勤しめば、それなりの風貌になっているはずである。
容姿容貌に言い及ぶなど学者らしくないと思われるかもしれないが、これにはわけがある。

春のキャンパスは実に心地良い。新緑の鈴懸の並木の下を歩くのは格別である。
小生、その日もうららかな木洩れ陽の下を歩いていた。
わが研究室は工学部の建物の一角にある。キャンパスにはそこここで語らう若人。
教官に会釈する学生諸君もいて、このような一場面を見ると心が和むではないか。
小生も声をかけられたのだ。学生の挨拶に時間を割くのはやぶさかではない。
今時の若者にしては丁寧な物言いであった。
さすが我が大学の学生だけのことはある。
加えて女学生。微笑みながら答えようとしたところ、
「失礼しました。教官かと思いました」
と言うや、女学生はくるりと背を向け遠ざかっていく。
逃げ去るように見えたのは気のせいであろうか。
しかし、なぜに謝るのであろうか。「かと思いました。」はないであろう。
ここは大学の構内である。
教官もしくは大学関係者以外にどんな職種の人間がいるというのであろうか。
立ち尽くしていると、
「どなんしたん、羽毛田はん。ボーッとして」
背後から刺さってくるような関西弁。簿毛津教授であった。
ショックが収まらないうちの不意打ちである。
「どなんしたん」と言われても答えようが無い。
いや、それがとでも口ごもれば、すかさず
「理由がわからへんのやったら、一緒に共同研究しよか」
とでも言いかねない。
小生右手を顔まであげて、「やぁ」と答えてさっさと自分の研究室に退散したのであった。

しかし、あの女学生、いったい何をどう誤解したのであろうか。
研究室にはいっても彼女の不可解な言動は頭の中に残ってしまった。
とんと納得がゆかぬ。となると学究の徒の性か、つい原因追究に向かってしまうのである。
教官の地位について数十年。多少の自負がある。
学者然とは言い難くとも「それなり」であって幼稚の先生に間違われることはない、はずである。
それなのに女学生のあの態度。
つらつら考えるに、もしかしたらと思いあたらぬことが無いこともない。
学者は言うまでもなく学究生活が第一だ。
ここだけのはなし、研究の意欲がわかなくなって随分と久しい。
ああ、小生の学者としての旬はとうに過ぎてしまっているのだ。
ゆすっても突っついても脳の反応はいっこうにかんばしくない。
アイデアの一つも思い浮かびそうにないのだ。
研究の意欲が無ければ学者の矜持も表情にでないであろう。
研究しているフリでもすれば見破れまいと緊張を失わずにすんだかもしれない。
それより今自分はとりあえず何を研究していたったけ。忘れてる?
とすると、小生呆け始めているのかもしれない。
たしかに最近もの忘れが多くなったような気がしないでもない。
思えば小生の才でよくこれまでやってこれたものである。
ただ熱意だけがたよりであった。実験の順備は調った。手ぬかりは無い。
さあ取りかかるぞと意欲のあった日々が懐かしい。
その頃はコーヒーミルで豆を挽くのが小生の日課であった。
カリゴリカリゴリと豆を挽くのが儀式であった。
広がる香りに包まれてアイデアがひらめいたり、
意識が集中してパァーと解決の展望がひらけたりしたこともあったのだ。
ところが今はどうだ。同僚には羽毛田コーヒー店と陰口を言われる体たらくである。

この日も研究室に入ると自慢の珈琲メーカーにスイッチオンである。
今日も一日が始まったかと椅子に身を沈める。
研究室を満たし始めるエスプレッソの香りがこうばしい。
この香りにくつろぎながらも気になるのは先ほど出来事である。
あの女学生、大学の教官にどのようなイメージをもっているのであろうか。
昔ながらの「目元すずやかで理性のまなざし」
「額がはなつ知性の紳士」などであったら彼女は幸せにはなれないであろう。
気の毒なことである。
教官たちも頭をかいてフケを落としながら苦笑するであろう。
しかし、気になるのは昨今の風潮である。あの女学生だけではないが、
「失礼しました」とか「申し訳ありません」とか、
とりあえず謝っておけば済ませられるだろう、と考える傾向はどうも困ったものである。
口先の謝罪で、傷つけられた者の怒りがおさまったり、
恨みからまぬがれたりするとでも考えているのであろうか。
誰とは言わないが根に持つ者もいるのである。
安易に考えすぎている。
嘆かわしいことである。
やはり世に警鐘を嗚らすべきであろう。

淹れあがった珈琲を水曜日のカップに注ぐ。
昨日は火曜のカップだった。
研究室のドアをノックする音が聞こえてきた。
まだ小生の憩いの時間である。
「Do not disturb」の札が目に入らなかったのか。
誰であろうか、度胸のある者がいるものだ。
顔を見てやろうとドアを開けた。男子学生であった。
小生の顔を見るなり大声で、
「申し訳ありません。羽毛田先生と勘違いしました」
深々と頭を下げたままススーッと後ずさりして去っていった。
器用なことができるものである。不器用なのは小生であった。
珈琲カップが小生の許可無く床に落ちてしまっていた。
廊下に響く音にハッとして、
「いったいなんなんだ。○△□野郎!」
思わず口をついてはしたない言葉が出てしまった。
○△□の部分は自己嫌悪になるので省略する。
やや取り乱してはいたが、耐えて床にへたりこまなかったのは良しとしなければならないだろう。
9:文一興 :

2016/11/13 (Sun) 16:20:21

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題名:「躁乱の晋助」

口演;文笑亭 一興

例の晋助。カマ屋のノダ公。ウラメ屋のカン坊。ムラの人。旅の人。

………………………………………………………………………………………………………………

このごろ「ふし目」とか「かわり目」といったことばが、花粉症にかかったせいでしょうか、

どうにも気になりよります。春さきになりますと顔のまんなかに栓のこわれた蛇口が二つでき

たようで、鼻水が出っぱなし。琵琶湖とつながってしもうたみたいで、ほんまに難儀しよります。

花粉は目に見えんさかいよけられません。見えれば花粉がそっちから来たぞって一目散に逃げ

ますわ。まあ、それでも季節が過ぎてしまえばもとに戻るよってに花粉は堪忍したりましょ。

見えんで始末に悪いのは、例のあれですわ。こっちの方は年中無休でたれ流し。季節に関係ない

よってに、よけいに厄介ですわ。ほんに迷惑もんというやつは姿を隠してやってきよるようです。

変わり目は人の世も同じようですわ。最近ちょいと頭のネジの緩んだ奴らが目立ちよります。

いったいこんな輩どこにいたんやろと思えるような間抜けもんで、ネジ山もつぶれてしもうて

使いもんにならん奴らです。こういった連中はどういうわけか目立ちたがり屋です。鳴り物入りで

騒々しく人目を引いておのれのアホを晒し、わしらをあきれさせよります。これも大きな時節

の変わり目ならではのことかもしれません。

………………………………………………………………………………………………………………


「おい、ノダ公。」

「なんや、カン坊。」

「あそこにおるんは晋助やないか。」

「どこや。」

「ほれ、あそこで座り込んどる奴や。」

「あれほんまや、例の晋助や。」

「あんなとこで、なにしてんのやろ。」

「最近ひま持て余してんのとちゃうか。」

「そやなぁ、『オラが一番』やめよったから忙しゅうはないやろな。」

「確かに自分からおりよったけど、なんでやろ。」

『忙しゅうないゆうても、大人しゅうしておるか、晋助のことや、なんぞたくらんどんのとちゃうか。」

「なんの、たくらむ頭があればこそや、そないなもんが晋助にあるかいな。」

「あってもろくなことあらへんで。」

「座りこんでるとこみると腹いたでもおこして、そやな、ノグソでもしてんのとちゃうか。」

「なにアホなことを。ここは往来のど真ん中やで。」

「冗談やがな。しかしな、あいつは晋助やで。」

「そやな、晋助やもんな。人目を引きゃなんでもするわな。


「よし、久しぶりやさかい、声かけとこか。」

「ちょっと待てや、何が『よし』や。」

「そやかてわしら暇やないか。」

「そや暇や。」

「そやさかい晋助に声かけて暇潰しや。」

「なに怖いこと考えてんのや。例の晋助やで、障らぬ神に崇りなしや。早いとこずらかろ。」

「わしら、暇やろ。」

「しつこいなぁ。そ、わしらは暇や。」

「おまけに落ち目や。」

「傷口に塩すりこむようなことを。」

「犬も歩けば棒に当たるゆうやないか。」

「わしらは犬か。」


「おい、そこでごちゃごちゃゆうとんのはノダ公とカン坊やないか。」

「あっ、見っかってもうた。」

「こっちやこっち。こいや。ひさしぶりのおさななじみやないか。」

「大声で呼びよる。どなんする。今さら逃げるわけにいかんで。」

「なに心配してんのや。厄介ごとがこわぁて晋助とつきあえるかいな。」

「腹くくったんかいな。変わり身が早いな、おまえも。」

「それがわいの得意技や。」

「忘れたらあかんで、晋助は誉めことばが大好物や。尻尾ふって喜びよるで。」

「わかった。あんじょうおだてとけばええんやな。」

「気ぃつけなあかんで、晋助はけなされるのが大嫌いなんや。いきなりかみついてくるで。」

「わっ、それいややわ。」


「ヨォ、晋助ニイ、ひさしぶり。」

「ふたりとも、ちょうどええとこにきた。」

「なにしてんねん、往来のまん中で。」

「ようきいてくれた。めいよかいふくのためにな、ケンコウをアピールしとんのや。」

「で、何してんのや。」

「おぉ、これみてくれや。」

「こいつ、ほんまにノグソ(ババ)しとるで!」

「どや、ふたりとも。かんきわまってこえがでんのかいな。」

「どなん言ってほめよ。」

「おお、り、りっぱなクソやな、晋助ニイ。」

「ぜっ、絶好調やな、晋助ニイ。お茶目やわ。」

「カン坊、ノダ公、わしうれしいわ。ふたりともようわかってくれとる。わしのしじしゃや
 わ。しっかりあくしゅしよ。しもた、てあらうのわすれとった。」

「晋助ニィ、やったな、感動もんや、逆上がり以来の快挙や。とうとう尻ふきの奥義もきわめたんや。」

「どこ、こすりつけたんやろ。」

「どこにでもしりあらいべんじょがあるわけないからな。しりぐらいふけんとな。」

「ホントや、晋助ニィの言うことにはいつも目からウロコがおちるわ。な、カン坊。」

「わしにふるな。」

「どや、これみてみい、もうすっかりようなっとるやろ。もうハラくだしのさんだいめなんていわせへんぞ。」

「なるほど、さすが晋助ニィや。健康アピールにノグソとはえろう卓抜なパフォーマンスやな。」

「なんやと、だれがエロでタコでバツでアホーやと。」

「ち、ちがうがな。そんなことゆうてへん。だれ一人考えつかんようなお茶目なアイデアやって誉めてんのや。」

「そうか、それならゆるしたる。わし、ほめことばすきやさかい、おぼえといてな。」

「それにしても晋助ニィ、往来でノグソとは、ゴ、豪快やな。」

「めいよかいふくのためなら、これしきのことなんでもないわい。」

「見上げたもんや。」

「ほんに大したクソやな。」

「これで健康やっちゅうことはようわかったわ。腹は心配ない。」

「腹はな、腹は。そやけど他のところが心配やないか。」

「おおきに。しんは°いしてくれんのは、おまえらだけや。おさななじみはありがたいな。しかしこ
 こまでになるには、ほんにくろうしたで。」

「苦労のあとが見えとる。これなら一目で晋助ニィやとわかるわ。」

「そうか、うれしいことゆうてくれるやないか。」

「三代目って書いてあるで。」

「そやろ、ばっちりアピールや、もうこれでハラがゆるいなんていわせへん。」

「ところでな、カン坊、めいよってなんやろ?」

「知らんのかいな、ノダ公。『目イーヨ』って目薬やがな。」

「けったいなもんアピールしとんな。いつから薬売りになったんかいな。」

「おまらふたりでなにボケたこというてんのや。おこるで、メンツのことやがな。メ・ン・ツ。」

「メンツのことかいな、それならわかるで、なカン坊。」

「風下でちょっと匂いが。クラッときて聞きちがいしてもうたんや。」

「臭いもバッチリや。とおぃところからでも晋助ニィのとひと匂でわかる。」

「ほんに嗅いだことないような匂いやわ。くいもんが違う。これぞ晋助ってもんが出てるわ。」

「やっぱりな、ひめたとうしがにおうてくるやろ。」

「ムラの歴史で初めての快挙や、怪挙。」

「やっぱりゆるいハラはあかんのや。わしをわらうたもんにはしっかりとおもいしらせたる。」

「ところでなカン坊、健康とノグソは結びつくのはわかるで。なんでメンツとノグソがくっつくんやろ。
 難しゅうてわしにはわからへん。」

「そやろな、お前もたまには自分の頭でよう考えてみい。」

「考えた。」

「2秒もたってないやないか。」

「そやけどなわいは人の意見を自分のもんみたいにゆうのは得意やねん。」

「そんなもん自慢になるか。仕方ないの、晋助ニィ教えたってや。」

「カン坊にノダ公、こゆときこそいしんてんしんやないか。わいにみなまでいわせるな。

 わしのおくゆかしさがだいなしやないか。」

「そこをなんとかたのむわ。」

「な、わしらさんにん、ムラできわめたなかまやないか。もいっぺんかえりざくためや、
 きまっとるやないか。」

「あかん、カン坊、晋助のゆうてることようわからへん。」

「なさけないやっちゃなあ。」

「キィ―わめいたなんて、わい、わめいてたか」

「うめくほうやろな」

「かえりザクッてなんのことや。」

「わしもおくゆかしい方やから以心伝心や。」

「勘弁したってなカン坊。晋助ひら仮名ばっかしでしゃべってんのやで。わかりにくうてかなわんで。」

「今頃気ィついたんかいな、鈍いやっちゃな。察してやりい。読めへんのや。」

「なにカン坊、声が小さうてき聞こえへん。」

「耳打ちしたる、耳かせや。」

「な、な、なんやそうだったんか。」

「アホ、大きな声だすんやない。漢字は禁句や。」

「そない大切なこと教えといたりィな。これこそ障らぬ神になんとかや。人が悪いでカン坊も。」

「そうか、ムラの常識やと思とった。」

「そないなもんが常識か。秘密とちゃうんか。」

「秘密で常識や。」

「こみいっとるわ。考えおよばんで。」

「なんやふたりでコソコソと。そいで、いしんてんしんしたんかいな。」

「わかったで、晋助ニィ、あ・うんの呼吸やがな。任せとき、協力するさかい、何でもゆうてんか。
 ニィの名誉はわいの名誉や。」

「ノダ公、また調子こいとるで。何をゆうてるのかわかってへんな。」

「どうしやないか、ノダ公。」

「出た、同志認定や。これで幼なじみから格あげや。」

「おまえもノグソせいや。」

「えェ!」

「めいよかいふくのためにはノグソがいちばんや。」

「ど、どゆことですか。」

「わしといっしょにノグソしよ。」

「連れクソ!何がどうなってんねん。」

「ちょっと耳かし。晋助はな、世の中のもんをな、鵜飼の鵜、支持者、幼なじみ、同志、それに
 イチャモンつける奴に分けとんのや。」

「そんなこまこう分けてんのか。甘かったわ。」

「たった今ノダ公は一番上のランクの同志になったんや。おめでと。」

「同志って、どうしよう。」

「しょもないしゃれゆうてる場合やあらへんで。同志になったんやさかい晋助と同じことせんとあかんのや。」

「どないしょ、取り消すわ。」

「なんやと!」

「ごめん、取り消すの取り消すわ。」

「なさけないやっちゃ、ノダ公、いつも男に二言はないゆうてたやないか。」

「それは方便や。」

「どっちが方便や。男か二言はないか。あ、おい泣くなノダ公。」

「うるさいわ。ノグソのノダ公なんて呼ばれとうないわい。」

「わしのしとることにイチャモンつけるきか。」

「ごめん、かんにんしたって、悪気はあらへんねん。」

「ノダ公、やっぱりおとこはどりょうや。ここぞとゆうとこできりょうのデカイところをみせたるんや。」

「晋助ニィのゆうことはもっともや。な、ノダ公。気ばりぃや。」

「そや、ケツのアナのちさいやつやっていわれつづけたんではメンツがたたん。ハラきめたらんかい。」

「そのとおりや。あれノダ公、なに顔赤うしてんのや。」

「べ、別になんでもあらへんわい。」

「わかったで、ノダ公。おまえゆるいんやろ。」

「な、なにをゆうねん。ごむたいな。」

「しっとるで。ゆるいのとおおきいのは、ちがうで。ええことおしえたる。」

「なんや、なんや。ええことってなんや。」

「あ~あ、ええことと聞いたらすぐ顔色かえよる。ほんまにノダ公現金なやっちゃなあ。」

「やっぱり喰いもんか。」

「くいもんなんてゆうのは、しろうとのかんがえそうなことや。」

「胃腸の薬やろ。」

「それもしろうとかんがえや。しょうかにええもんはなんやとおもう?」

「焦らさんで教えたりぃな。わたくしノダ公はどうしでおます。」

「しゅしょうなこころがけや。しじしゃのさしいれ、これや。これをことわったらアカン。はらごなしは
 じんじゃめぐりや。それからたのまれごと。しじしゃからちょっとミギむいていわれたらミギむいてやる。」

「わいあっち向いてホイは得意やで。」

「ノダ公は気楽やな。」

「そいからうしろだてをもつことや。しょうしょうのモレはあんじょうしょりしてくれる。もりたてて
 もくれる。たのもしいで。わいももすこしはようきづいとったらハラくだしたって「オラが一番」をお
 ちることなかったんや。」

「ええ!返り咲くっちゅうのは「オラが一番」のことかいな。」

「なにびっくりしてんのや、ふたりとも。それいがいなにがあるっちゅうねん。」

「スゴイ!」

「おおきいこえでゆうなや、てれるやないか。」

「晋助ニィは、懲りてなへんや。」

「なににこりるんや。」

「あんだけ悪口言われよったのに。」

「え?そうだったんかいな。わしはエールやとおもうとったで。」

「腹とちごうて度胸のええ耳してるわ。」

「なんや、おまえら、やるきのうなってしもたんか。にんせいななころびななおきやないか。」

「確かにそや。ニィが正しい。計算あっとるわ。」

「目からウロコがズリ落ちたわ。」

「いやほんに見上げたもんや晋助ニィは、歳とるごとに凡人をこえていきよる。」

「そいつは上の方にか、下の方にか。」

「晋助はすごいのう。よし、カン坊、わしらも見習おうや。」

「ノダ公、見習うって、わしらノグソすんのかいな。」

「そやカン坊、ふたりそろって汚名返上や。」

「わしには関係あらへん。汚名なんてその内みんな忘れよるわ。」

「甘いで、それは。」

「なんやノダ公、ズボンの中に顔しもうとったんか。」

「顔やない、わいの尻や。」

「そんならお前の顔は尻か。」

「アホいうな。わいはやるで。」

「ノダ公、そのこころいきや。いっしょにめいよかいふくや。」

「わい励まされるとやる男やで。」

「おだてられて登るのとちがうんか。」




「晋助のゆうとおりや、わいにもできるやないか。な、やっぱり心いきや。あ!こら、カン坊、わいの
 ノグソに名刺置くんやない。卑怯な事すんな。」




こうして二人はムラの目立つところにノグソをしてまわりよりました。「この道を力強く、前へ」と一

歩ふみだすとノグソをふんでしまうありさまで、「美しいムラをとりもどす」っちゅうのはクソまみれ

にすることかい。コラ、クソの後始末せんかい。「おまえが一番」クソや!と罵倒するものもいないで

はありませんでしたが、不思議と少数でありました。ノグソでまず鼻がやられてしまったんでしょうな。

鼻とゆうのは困ったもんで慣れてしまうと鶏舎や豚舎の匂いでも平気になってしまうぐらいたよりない。

鼻がバカになった後は間違いなく頭のほうに回ります。それが証拠に「匂いくらいでは死にゃせん」とか、

「クソがこわくてめしがくえるか」とか、「わしらは歩くクソ袋や」とか、やけのやんぱち言いだす

もんがふえてきよりました。何をよろこぶのかわけのわからんもんも出てきて、やつらのノグソを、こと

もあろうに下肥だ、有機肥料だともてはやしよります。中には柏手うって拝むやからもいて。こんなもん

がハエやらうじ虫のようにぎょうさんわいて、ほんに困った時世になりよりました。




「このムラはずいぶん匂いますな。匂うというよりくさい。」

「これ、旅の人、何を失礼なことを大きい声で。」

「こりゃ失礼しました。ムラのお方ですか。」

「ええ、今里帰り中ですが。」

「そうですか。お尋ねしますが、なんでこんなにくさっ、いやカオルんでしょうか。」

「それがムラには昔から娯楽がありませんでのう。酔狂なこと考えついたもんがおって『ムラで一番』
 を競おうやゆうて始めよりました。」

「なるほど有りそうですな。」

「初めはムラで「一番力もち」「働き者」「頑固者」「大食い」とか他愛のないもんでした。そのうち
「まじめ」とか「できる」とか窮屈なもんになって。」

「作文の課題みたいでっな。」

「それで見向きもされんようになりました。も一回盛り上げんといかんいうことになりまして、それなら
 くだけたもんがええやろゆうて、『オラが一番』になったしだいです。」

「オラが一番何ですか。」

「オラが一番男前ではずいぶんと盛り上がりました。ぶ男が堂々と胸はって仰山でてきて、ムラはぶ男
 だらけだったゆうて大笑いしたのなんの。それはもう楽しい思い出ですわ。」

「おたくさんも出やはったん。」

「これ、真面目に聞きなはれ。くだけたもんゆうのは洒落ですがな。ところが真に受けるもんが次々に
 出てきよりまして、『よし、オレが一番エライ』「ツヨイ」「ズルイ」を競いあいしよりました。」

「なんですか、そんなもんに自分からすすんできそいあうもんがいますか。」

「それが、何ぞ悪いもんにでも中ったんか、ゾロゾロとでてきよりました。」

「それでどなんしやはったん。中止ですか。」

「止めときゃよかったんですが、これは若気のあやまりじゃゆうて大目にみてしまいよりました。
 時機を逃してしもうて、その後は「オラが一番恥じ知らず。」「オラが一番恩知らず」となり
 目を覆い耳をふさぐありありさまですわ。今ではムラの鼻つまみもんで三バカトリオ言われ
 とりますのが、」

「匂うんですか。」

「オラが一番ドアホ、オラが一番クズ、オラが一番カスを競う有り様ですわ。わたしのムラがこんな
 体たらくになるとはおもいもよりませなんだわ。まっこと情けないことになりよりました。」

「あっ、それでここがドアホのミックスムラ。」
 
 -了-



久方ぶりですが、今回は寄席にご招待です。
上方落語の真似ですが、言葉遣いなど至らぬ点も
笑ってくださればありがたい。

題名の「躁乱の晋助」は「胴乱の幸助」からお借りしました。
「躁乱」という漢字熟語は造語です。
「ドアホのミックス」は浜教授の命名だったかと思います。

人物については現実の人物とは一切関係ないかもしれません。
「これ僕のこと書いとる」
などと言って名乗り出てくれたら、作者冥利につきます。
そうすれば「飛んで火に入る夏の虫」で、一番の大笑いです。
8:MEN :

2015/07/29 (Wed) 23:38:18

host:*.spmode.ne.jp
 よろしくお願いいたします。
7:飯山さんこんにち :

2015/07/10 (Fri) 16:38:05

host:*.kualnet.jp
飯山さんこんにちは。
6:文一興 :

2015/04/19 (Sun) 19:51:29

host:*.e-mobile.ne.jp
先月イスラエルのネタニヤフがアメリカ議会で演説をしましたが、
共和党とネオコンが幅をきかせる議会の招きでした。
議員60名とオバマ大統領は欠席。
反対に拍手で迎えた議員もいて、当然 イスラエルに選挙などでお世話になっている方々でしょう。
今のアメリカの異状がわかります。
最早「アメリカ」はありません。
ある記事によると、国家の中に「国家」があってそれが暴走しているとのことです。
テレビドラマの「24 -TWENTY FOUR 」の後半のシーズンさながらでしょうか、民間軍事会社が出てきたりと。
さて、アペ閣下も大統領の招きでなくて、
議会のお招きだそうで、
ネタニヤフと御同慶。
両者の共通点は、戦争屋の手先で オバマに毛嫌いされている点。
違うのは、
ネタニヤフは飼い犬に会いにいってイランを攻撃しろと脅しあげましたが、
日本は飼い犬がご主人のご機嫌をうかがいにいくということでしょうか。
手土産はTPPに戦争法案などでしょう。
この違い、アペ閣下にはわからないでしょう。
犯罪性を日に日に増す政権と一体化する新聞・テレビはマイナス点は報道しないはずです。

アペ閣下の死民党の「日本を取り戻す」が戦前の体制だとすると、
昔から日本は芯から隷属国家だったということです。
それとも「アメリカの手」に「日本を取り戻す」が目標だったのでしょうか。
これならば飼い主がよくやったとほめてくれるでしょう。
彼らが「正気を取り戻す」ことは期待はできません。
それどころか破局へ一直線でしょう。
狂いを矯正しようとすると既得権力勢が、
検察や新聞・テレビを使って酷い個人攻撃を連日行ったのは歴史に残るでしょう。




✳︎
横山ノック、フック、 パンチの漫画トリオという漫才師達がいました。
パンチは片岡竜之介で、彼だけ健在です。ノック氏は大阪府知事を務め、晩年はちょっとつまづきました。


パンパカパーン、パンパンパン、パンパカパーン、今週のハイライト。
ノック:検察改革が進んでます。
パンチ:それって今週ですか。
ノック:僕の中ではここ十年、ずっと今週です。

フック:検察も最近は仕事が早くなりました。
ノック:スピーディーということやね。
パンチ:慎重やないんや。
フック:取調室に入ったらもう調書が出来ていた。
ノック:そりゃ手際がよろしいな。僕らも見習わなあきません。
パンチ:ノックさん、府知事はいらんこと、せんほうがよろしいで。
ノック:みんな忘れてはんのに、寝た子をおこしなはんな。
パンチ:おかしいですね。鬼より怖い検察なのに、なんで解放されましたん。
フック:同姓同名でした。
ノック:ようあることです、お役所仕事では。
パンチ:おそまつやな。
フック:さすがに別人では犯人にしようがないようでした。



✳︎
今回は山本リンダの「どうにもとまらない」の替え歌です。
作詞は阿久悠    、作曲は都倉俊一のコンビです。
You Tube で若き山本リンダの熱唱ぶりをごらんになってください。
お三方に感謝と敬意を。


むかしのおいらじゃないんだぜ
おなかはばっちり大丈夫
まわりにちやほやおだてられ
生きていくのが楽しいぜ
今度は舌先なめらかで
アメリカ議会で演説だ
何でも言いたいしほうだい
あつい演説ぶちかます

※ああ鴨になる、ああネギそえて
ボクのすることアメリカしだいなの
ああ自分だけ ああ身内だけ
もうどうにもとまらない※

議会でマッチョのまねをして
威勢のいいとこ ふりをして
しっかり後でわび入れて
それは今度もいいじゃない
はじけた砲弾とびかって
戦争気分が燃えてくる
平成終末カーニバル
はやく我が軍指揮したい

※くりかえし




5:文一興 :

2015/04/11 (Sat) 14:14:32

host:*.e-mobile.ne.jp
今回の替え歌は
下痢ゾウといわれ、
さげすまされ、
汚物と一緒に下水に流されたかと思われた
あべしんぞうが
ネトウヨや狂狗・ウ、カルトの熱烈歓迎を受けて
下痢ゾウcome back
してしまった頃のものです。
オスプレイやミサイルのパックスリーを購入して
アメリカの戦争道具屋さんに貢献していました。
ケイマンに口座でもお持ちなのでしょうか。
かつて中曽根康弘の政治を「暴政」だと藤原肇氏はおっしゃった。
あべしんぞうのは「凶政」「狂政」でしょうか。

その後はもうアベチャ閣下はやりたいほうだい。
もうむちゃくちゃでごじゃりますがな。(花菱アチャコ)
てなもんや。 (=「というようなものではないか」)
そんな悠長なことゆうとるばあいやありまへんで。
しっかりしろ、日本人!
しっかりしよう、日本人!


アベチャ閣下の賛歌(おもちゃのチャチャチャの替え歌で)

おなかが チャチャチャ
くだして チャチャチャ
チャチャチャ
あべちゃが チャチャチャ

そらにきらきら オスプレイ
国民スヤスヤ ねむれない
あべちゃは 病院 とびだして
はしゃぐ あべちゃの チャチャチャ
おつむが チャチャチャ
おなかが チャチャチャ
チャチャチャ
あべちゃが チャチャチャ

そら来たミサイル 待ってたホイ
今がチャンスだ 国防軍
刷って買うぞと パックスリー(PAC3)
壊れたあべちゃが イッチャチャ
おつむが チャチャチャ
手おくれ チャチャチャ
チャチャチャ
あべちゃの チャチャチャ

あべちゃの おつむは トテチテター
あべちゃの へいたい ネトウヨで
ラッパならして 進軍だ
花の ドレスで チャチャチャ
おなかが チャチャチャ
おつむは アッチャチャ
チャチャチャ
あべちゃの チャチャチャ

あたまに キラキラ おほしさま
はやく 正気を 取り戻せ
あべちゃは かえる 病院に
やっぱり 手遅れ アッチャチャ
おつむが チャチャチャ
おなかが チャチャチャ
チャチャチャ
あべちゃが チャチャチャ


福島は完全にコントロールできて、この先どうなるか分かりません
ポクは完全に安全ですからどうなってもしりません。

4:文一興 :

2015/03/31 (Tue) 18:48:47

host:*.e-mobile.ne.jp
情報の汚染はずいぶん昔からあって、大本営発表をそのまま垂れ流していた新聞社は典型です。今それを生で見ることができるシアワセをかみしめています。記者さんたちにカンシャして歌いましょう。
たちの悪い新聞記者は、「羽織ゴロ」とか「羽織やくざ」と呼ばれていたそうですが、復活ですね。

「汽車ぽっぽ」のメロディーでどうぞ。

記者、記者、ゴロ、ゴロ
ゴロ、ゴロ、ゴッロゴロ
いちゃもんつけて
ゴロ、ゴロ、ゴロロ
俺たちゃ ペン持つ ゴロツキさ
狙った獲物は逃さない
強請れ むしれ 脅せ
ゴミウリだ ニッテレだ ティービーエス


記者、記者、ゴロ、ゴロ
ゴロ、ゴロ、ゴッロゴロ
うそ記事かいて
ゴロ、ゴロ、ゴロロ
俺たちゃ ペン持つ 政治ゴロ
貼るぞ ネガキャン 目くらませ
強請れ 騙せ 脅せ
テレアサだ バイニチだ イヌエッチケー


記者、記者、ゴロ、ゴロ
ゴロ、ゴロ、ゴッロゴロ
やらせ記事かいて
ゴロ、ゴロ、ゴロロ
無い物ねだりだ 品格は
俺たちゃ 権力 犬パシリ
強請れ 騙せ 脅せ
ごほうびは 機密費だ うれしいな


記者、記者、ガッポ、ガッポ
ガッポ、ガッポ、ガッポッポ
機密費貰って
ガッポ、ガッポ、ガッポッポ
任せろガセネタやらせ記事
スピンだ かぶせだ ねつ造だ
強請れ 騙せ 脅せ
ごほうびは 機密費だ うれしいな


以上「官制記者クラブ」のクラブ歌でした。
3:文一興 :

2015/03/27 (Fri) 17:16:04

host:*.e-mobile.ne.jp
新聞もすっかり汚染されています。汚染源は官邸です。
「平時は左翼、戦時は広報誌」と部数が減少するなか、政府公報費をしっかりせしめようというわけでしょうか。
社長は官邸の接待受けて飼い犬です。


今回は「線路は続くよ どこまでも」です。
アメリカ民謡となっています。

東京五輪招致のさい、
「フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています。
東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません。」
とのたまった、五輪招致詐欺団のA級汚染犯のアベ閣下のために
不愉快な現実を目の当たりにして、不愉快なかえ歌で。


汚染はつづくよ どこまでも
野をこえ 山こえ 海こえて
はるかな国まで  Fukushimaの
なかよくひろげよう 汚染の輪

汚染をひろげよう だれにでも
食べておうえん まきぞえだ
みんなと同じで 安心ね
なかよくつながろう 汚染の輪

汚染はつづくよ いつまでも
嘘つき首相が つづくかぎり
汚染にあわせて ぼくたちも
ひさんな被曝を つづけてく

廃炉はつづくよ いつまでも
税金つぎこんで 利権こうじ
東電たすけて 焼け太り
汚染でつながろう 利権の輪

廃炉はつづくよ はてしなく
臭いものにも ふたできず
知らぬふりする 日本人
世界にきらわれ 鼻つまみ

炉心はさけぶよ メルトスルー
どこに行ったのか  核燃料
とぼけつづけて 無責任
地球をけがしてる 日本人

2:文一興 :

2015/03/20 (Fri) 00:01:20

host:*.dion.ne.jp
「日本国憲法 序文」を読んだことのない人が圧倒的に多いのはわかっていますが、敢えて挑んでみました。あまり笑えなくて、苦笑い。苦笑いを共有してくれる人がいればちょと嬉しい。

今度は替え歌です。お馴染みの
【鉄道唱歌】
「 汽笛一声(いっせい)新橋を
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として」
の替え歌です。
一緒に御笑歌くださればと思います。


奇声一発 ニッキョウソ
壊れた首相が 野次ってる
日本国会 やまい中
つける薬は ありません

国会答弁 宿題を
ルビ付き作文 音読中
小学漢字も 読めません
母校も漢字で 書けません

教育看板 しもむらは
金くれ講演 精を出す
これが道徳 見本だぜ
内閣全員 金まみれ

オバマは会わない ネタニヤフ
マケイン、ネオコン、テロリスト
飛んで火にいる あべしんぞう
人質取られて だまされた

どこのどアホだ 喜んで
人道支援で 金を出す
舌出し喜ぶ イスラエル
これで戦費が 手に入る

金をだして バカにされ
得意絶頂 間抜けづら
これは利権か 還元で
ふところ うるおす財閥か

IS、傭兵、テロリスト
トヨタに乗って 満足げ
うちでの小槌だ 日本は
間抜けがトップで ひと安心

トップが狂った 日本は
お先真っ暗 阿呆船
いつか来た道 狂い道
転覆必至の 地獄往き

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